瀬川和樹 インタビュー「ワクワクし続ける人生を」

瀬川和樹 インタビュー「ワクワクし続ける人生を」

2020シーズン、 J2 栃木SCで40試合に出場しながらも、カテゴリーを3つ下げ、さらには ビジネスパーソンを両立させながらのサッカーを選択した 瀬川和樹。実直な努力と、多くの人に愛されるキャラクターを兼ね備える彼は、自身の人生について「壁を乗り越え続けることの連続だった」と語る。再び、新しい壁の前に立ったレフティーは、今、誰よりもワクワクしていた。

©️TOCHIGI SC

「10年後、自分はこのチームにいるだろうか」

Jリーグへの未練はありますか?
未練とか後悔はありません。だだ “僕以外の” ほとんどの人が「Jリーグに残ってほしい」「Jリーグでまだできるんじゃないか」と言うのを聞いて、Jリーグというものの価値を、周りの人のほうが感じているなと思いました。関東リーグの、まだ名も知られていないチームを選んだことは、そういう意味では、申し訳ないと思いました。

しかし、僕の中では、Jリーグにはワクワクするものが少なくなってきて、その気持ちは、周りの人たちの期待に関係なくありました。それが、今回の決断の決め手です。仮に その人たちのために残って やりがいをなくしたとき、その人たちのせいにすることはしないけれど、きっと逃げ道はできてしまう。だから、新しい挑戦への ワクワクを大事にしました。

意地悪な質問ですが、J1からオファーが来ていたらどうしていましたか?
J1への憧れはありました。大卒でザスパクサツ群馬に加入してから、ずっとです。もしオファーがあれば、J1に挑戦していたかもしれません。しかし、もしそういう機会があったとしても「 J1にいって J1 の肩書きをもらう」というようなことはしません。J1には J1の魅力があって、そこでしかできないことがあるはずなので、あくまでもそのために、です。

しかし僕も、年齢で価値を区別されるような年齢になってきて、J1から引き抜かれる いわゆる「個人昇格」することは難しさを感じ、だからこそ、自分の所属するチームをJ1に昇格させることに注力してきました。

チームへの貢献を大事にしていたわけですね
昨年まで在籍した栃木SCには、2019年の夏に加入しました。そのときは J2残留争いの真っ只中で、当時は雰囲気は良かったけど、戦える集団ではないと感じ、残留というミッションのために、プレーはもちろんですがプレー以外でもできることを探しながらやりました。

リーグ戦のラスト10試合、監督が「戦えるやつを使う」と言って、蹴って走ってみんなで守って…ということを本気でやりました。「これだと、上手くならないよ」と愚痴をこぼす選手もいましたが、スタメンが死に物狂いでやっていたので、そうした姿勢に徐々に感化されて、サポーターもボルテージが上がって、栃木SC全体がまとまっていくのを感じました。

最終節は、アウェイのフクアリ(フクダ電子アリーナ)でジェフ(ユナイテッド市原・千葉)と。他会場の結果次第で、栃木は「勝利しても降格の可能性がある」という厳しい条件でした。しかし、栃木は勝利し、そのままフクアリで降格争いをしているチームの結果を待って、そして奇跡的に逆転で残留…。

このときの感動は忘れません。苦しかったけど、楽しかった。もしかしたら昇格の方が大きな喜びがあったかもしれませんが、涙を流すサポーターがいて、選手も感極まっていて。そのとき、このチームにずっといれたらいいなと思いました。

©️TOCHIGI SC

翌年は、残留争いを戦い抜いた勢いそのまま、J1を目指すことになりました。まとまりがあって、本当に良いチームでした。「このチームで、J1に昇格したい」そういう気持ちは、徐々に「10年後も 栃木SCで貢献したい」という想いに変わっていきました。だからこそ、僕は「10年後、自分はこのチームにいるだろうか」ということを真剣に考えるようになったんです。

しかし 10年後、このチームに自分がいない未来が見えてしまった。Jリーグというのは、そういうものです。選手が「ここにいたい」と思っても、プレーとして結果が出なければいることはできない。仮に、瀬川を残したいと思ってくれる強化部がいても、強化部も入れ替わっていきます。監督が、社長が、もしそう思ってくれても、彼ら彼女らも入れ替わっていきます。栃木SCが悪いわけではありません。

10年後、自分がいない未来が見えてしまった。それが、Jリーグという場所でワクワクしなくなってしまった、一番の原因かもしれません。

Jリーガーは、Jリーグに飲み込まれている

「10年後」というワードが出ましたが、そうしたスパンで、サッカークラブでやっていきたいことは何でしょうか?
クリアソン新宿で何ができるかはわからないけど、Jリーグで何ができるかは知ることができた、そして、その限界は感じています。グラウンドでのファンとの交流、SNSを使ってアクションは、楽しかったし、やりがいもありました。反面、Jリーグにいると、どうしても 選手ファーストな扱いで「選手がやることじゃない」と言われることもあり、これ以上のチャレンジが難しい気がしました。

ずっと、選手としてもっとやるべきことがあるんじゃないかと感じていました。日本代表とか、有名な選手とかだったりすると、もしかしたら必要ないかもしれませんが、僕も含めて、ほとんどがそうではないわけです。

「Jリーグ」には大きな価値がありますが、そこに属している僕たち「 Jリーガー」には、Jリーグほどの価値はないと思っています。そういう意味で、Jリーガーは、Jリーグというものに飲み込まれている。だからこそ、属しているだけではなく、価値をつくるために、僕は周りの人、ファンの人に対して、自分のできることを行動していきたかったんです。

なぜ「人のために」「ファンのために」と思うのでしょうか
まず、僕は全然サッカーが上手くなくて(笑)。ストロングポイントの左足のキック、体の強さ、そして走ることで生き残ってきました。特に走ることは大事にしていて。ただ走ることは、みんながやっています。ただ、僕は「人のために」走るということを意識しています。パスがほしいから走るのではなく、サイドハーフがプレーしやすくなるよう走るんです。よくサッカー界では「パスを出してあげないと、次は走ってくれなくなるよ」というやり取りがありますが、僕から言わせれば、そんなことはないんです「全然 次も走りますよ」と(笑)。

みんなが頑張って走るだけで、格上のチームにも勝てるんです。高校も大学も、あまり強くないチームだったんですが、1人でダメなら2人、2人でダメなら3人と走って、人が人を助け合うことで、レベルの高い相手にも渡り合えた。だからこそ、僕のサッカー人生にはずっと「人のために」というコンセプトがありました。

ファンの方との関わり方は、モンテディオ山形に在籍していたときのことが影響しています。当時 J1だった山形では1、2年目は試合に絡めず、「自分はなぜ試合に出られないか」ずっと悩んでいました。監督やチームに合わせてプレースタイルを変えるという手段もありましたが、自分は、自分のストロングを評価されたいという想いを捨てきれなかった。だから、練習が終わってからも、4、50分ずっとクロスを上げたり、ウエイトをガシャガシャやったり、フィジカルコーチに「ちょっと1000(m走)やらせてください」と直談判したり、とにかく頑張っていました。

©️MONTEDIO YAMAGATA

そして、そうやって自主練習をしている僕の姿を、見てくれているファンの方がいたんです。言葉をかけてくれて、応援してくれて。そのとき、ピッチに立つことや華やかなプレーだけではなく、僕たちが、ファンに与えられるものはたくさんあると気づいたんです。

努力は実を結んで、3年目の開幕戦は、僕がアシストをして勝つことができました。この試合はとても印象に残っていますが、それ以上に、選手として上手くいかなかったときに、ファンの方々とこうした経験をさせてもらって、何か自分からファンの人たちにできることがないかを考えるようになりました。

プロサッカー選手は、ファンと距離があって、良くも悪くも「崇められ」ます。それは、僕には向いてません(笑)。僕は、ファンと近くいたいんです。サインして、握手して終わりではなく、もっと話がしたい。ファン感謝祭のようなイベントに積極的ではない選手もいましたけど、僕はハジけていました。そうした、プレー以外の姿勢を見てくれるファンも、本当に多いんです。だからこそ、そうした人たちのために、できることを増やしていきたいと思ってきました。

©️MONTEDIO YAMAGATA

 

サッカーとビジネスを、自分の中で切磋琢磨させる

クリアソン新宿を知ったきっかけを教えてください
最初はソンスくん(黄 誠秀 Criacao Shinjuku #6・株式会社Criacao 社員)です。ソンスくんは、僕のプロ1年目、ザスパ草津群馬に加入したとき、ジュビロ磐田から移籍してきました。最初は喋らなかったんですが、徐々に距離が縮まって、ずっと一緒にいるようになりました。

僕は、人と群れないタイプなんですけど、ソンスくんは先輩だけど居心地が良くて「この人とは、ここだけの付き合いじゃないな」という感覚がありました。ソンスくんは大分トリニータ、僕はモンテディオ山形と、別々の道を進んでからも、たまに連絡を取り合っていました。

そして、ソンスくんが2018年を最後に Jリーグを離れるとき「俺は、ビジネスでも『やる』んだよ」みたいなことを半分ふざけて言いながら、クリアソン新宿に行くことを教えてもらいました。前々から、二人で「Jリーグを辞めてからも、面白いことしたい」という話をしていたので、驚きはしませんでした。

黄 誠秀(#6)2019年〜

クリアソン新宿に移ってからも、僕にあっているチームだと言ってくれました。そうして、クリアソン新宿の方々を紹介してもらって、話をさせてもらっていると、自分が思ってきたこと感じてきたことを言葉にしてくれる感覚があって、そして違う世界を教えてくれて、魅力的でした。

大変な挑戦を選ばれましたが
サッカーとビジネスの両方にチャレンジするので、Jリーグにいたときより、当然ですが、家族といる時間は短くなります。自分は楽しみですが、家族には、かける苦労も増えます。少しでも負担を和らげるために、妻の実家の近いところに住みます。通勤時間が長くなり、肉体的な疲労があるけど、家族がクリアソン新宿で挑戦することに前向きになってくれればと思いました。

思えば、常に、僕の人生には高い「壁」があって、乗り越えたり、時にはぶち壊して、下のほうから這い上がってきました。今度は、JFL昇格という壁を突破することがミッションです。

ビジネスでは、何ができるか分からないけど、逆に「何ができるんだろう」という好奇心、そしてモチベーションがあります。たくさんのことを吸収し、大事にしながら、新宿を知り、新宿をどうやって盛り上げるか、それをどうやって仕事にするかを考えていくことに、ワクワクしています。

サッカーとビジネスを分けるのではなく、両方を自分の中で切磋琢磨させながら、高いレベルでやっていきたいです。今は、サッカーのほうが勝っていますが、ビジネスもすぐに追いつかせます。

 


Criacao Shinjuku(クリアソン新宿)は、今後もサッカーを通じて感動を創造し、人々の結び目になることを、ホームタウンである新宿から実現するとともに、「Enrich the world.」 を掲げ、誰もが豊かさの体現者となれる社会を目指してまいります。

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