Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.13 原田 亮「多彩な価値が発揮される場を作る」

Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.13 原田 亮「多彩な価値が発揮される場を作る」

Enrich the world. を掲げ「誰もが豊かさの体現者となれる社会」を目指す Criacao Shinjuku。その中でも、株式会社Criacaoで働きながら、プレーだけでなくビジネス面でも、チームの掲げる理想の体現に挑み続ける選手たちのサッカー人生をひもとく。執筆を担当するのは、2020年4月に株式会社Criacaoに入社した浦上。客観的な視点で、選手であり、同僚でもあるメンバーのCriacao Shinjukuにかける想いを聞いてみた。


「多彩な価値が発揮される場を作る」原田 亮
Criacao Shinjukuのストライカーとして、株式会社Criacaoの中核社員として、絶大な信頼を置かれるキーマン。そんな評価とは裏腹に、周囲への気配り・思いやりに長けた #9原田選手は、これまでどのような人生を送って、今のスタイルを確立したのか。

▼ 原田 選手のプロフィール
https://criacao.co.jp/soccerclub/member/ryo_harada/

「プレーで認められることは無理なんじゃないか」

原田のサッカー人生は地元・横浜の街クラブから始まった。チーム内で実力が認められていた彼は、小学5年で市選抜に選出される。しかしそこで彼は何もすることができなかった。自分より肩書のある選手達に委縮してしまったのだ。

運よく中学進学時に川崎フロンターレのジュニアユースに入れたが、それは変わらなかった。ミスを恐れ、チャレンジングなプレーをして非難されることを恐れた。その結果、試合で活躍することはほとんどなく、多くをベンチで過ごすこととなる。

「プレーで認められることは無理なんじゃないか」

自分に見切りをつけるのが早かったため、プレー以外での貢献を模索していた。試合に出られない中でも、何か自分の存在意義を見つけたかった。ボール拾いや水汲みなどは率先してこなし「こういう役割のほうが活躍できるんじゃないか?」と感じるほどだったが、サッカーの実力が個々人の評価のほとんどを占める環境。原田はその中で自らの価値を見つけられずにいた。

クラブチームでは頭のいい人。学校ではサッカーがうまい人。どちらでも一目は置かれるが、自分としては中途半端な人間。その葛藤の中、両方で自分が納得できる状態にしたいと思い始めた。

高校は一般受験で慶應義塾高校に進学する。大学受験をせずにサッカーをやり続けられることが決め手だった。サッカー部では、学年で唯一のJリーグのジュニアユース出身。

ここではサッカーの実力で評価され、学年ミーティングでも積極的に発言をするようになった彼は、その姿勢が評価され3年生では主将を務めることとなる。そして勉強では、高校1年時に学年760人のうち9位と成績優秀者に名を連ねた。補欠Aという枠で何とか入学していたことから、猛烈な危機感を抱いていたこともあり、苦手科目は授業をレコーディングして、徹底的に復習した。他の成績優秀者とともに、昼休みも勉強をしていた。決して、努力を怠らなかった。

ユースではなく高校のサッカー部。平等に比べられる条件だからこそ、今いる環境でのハイレベルな両立というのが、自分のアイデンティティに刻まれた。

大学では、体育会ではなく準体育会、広義にはサークルに含まれる、慶應義塾大学理工学部体育会サッカー部に入部。原田はここで、これまで以上に多彩な「価値」と出会う。入部当初3年生にはレベルの高いメンバーが揃い、本気で昇格を目指していた。翌年は実力こそ見劣りするものの、チームは温かい雰囲気で居心地がよかった。最高学年の代でこんなにも変わるのかと思い、両方をうまく融合させたチームを目指したいなと思うようになった。

そしてむかえた3年生、目標は1部昇格。1部、2部交えてのカップ戦「新関東カップ」では、1部に所属する3チームに勝利を収めて優勝。そして最後の「新関東リーグ」では目標の昇格を果たす。自分たちには突出した選手はいない、だから相手を敬うことから始め、挑戦者で臨もう。そんなチームの合言葉が、かかった試合でも100%の実力を発揮できる秘訣だった。

幹部ではなかったが、キャプテンといつも練習前に食堂で練習メニューを考えた。もちろん厳しさも意識しつつ、試合に出られないメンバーも含め、全員が楽しめるような練習を心掛けた。練習は紅白戦がメイン。出ているメンバーはもちろん、観戦しているメンバーも、みんなで盛り上がれるようにした。試合に出ることを目指していないメンバーも、幹部陣が歓迎する。それぞれが、それぞれにとってのチームにいる価値を実感している。それをお互いに認め合っている。

中学時代までは「サッカーの実力」がすべてであり、高校時代に「サッカーの実力」×「勉強」という両立の価値観に出会った原田だったが、このチームにはそのいずれにも当てはまらない「価値」がたくさん存在していた。

多彩な「価値」を認め合う、だけじゃない

大学院へ進学後、研究の世界で勝負できると思えなかったため、文系就職を希望する。他の院生が研究に励む中、原田が熱中したのは、誰かに何かをプレゼンすることや、後輩・同期にアドバイスをすることだった。「研究職で0から何かを作り出すより、すでにあるものをうまく伝える、大きくしていく」そんな仕事が向いているのではないかと考えた。

悩んだ末、原田はソニー株式会社への入社を選択する。就社ではなく就職したい、三男として自由気ままだったからこそ、泥臭い仕事、一歩引いてサポートする仕事からキャリアをスタートさせたい、その後はキャリア選択が自らできる環境にしたい。そんな条件で絞り込み、出会ったソニーは、職種別採用制を引いていて、理系人材で対人スキルを求める部品調達のコースがぴったり当てはまった。社内異動も公募制が充実。10人のOBOGを訪問し、会社が厳しくても前向きに仕事をする人が多かったのも決め手になった。

しかし、彼の社会人生活のスタートは、想像していたものとは大きく異なったものとなる。配属先の部署は入社直後30人だったはずが、新入社員研修から帰ってくると23人に。厳しくても前向きにやろう、が甘っちょろい考えだったと脳天を打たれた気分だった。

入社して2年後のある日、同期がある社内プロジェクトでコートジボワールに行くと言い出した。アフリカの子どもたちにパブリックビューイングでワールドカップを届けてきます。すぐに食いつき説明会に行くと、ワクワクが止まらなかった。

会社非公式のプロジェクトのため、自部署の仕事に関係はない。ゆえに作業は業務時間外に行った。それでも、渡航準備や社内の仲間づくりに、参加者全員が熱中していた。プロジェクトがどんどん進んでいく。今まで社内で経験したどんな仕事より強い推進力に、原田は驚愕する。

いかにそのプロジェクトを面白く、かつ価値のあるものにするか。みんなが同じ熱意で同じゴールを目指している。お互いの価値を認め合うだけでなく、強い目的・目標がそれぞれの価値を最大限に生かしている。この状況を作り出せれば、仕事はこんなにも勢いよく進むものなのか。

実際に現地で役割を終えて帰国する日、現地側でリーダーを務めた方との別れの握手。互いに言葉は発しないけれど、互いを本気でリスペクトしあう気持ちが溢れ出る。こういう経験を本業でもしていきたいと、コートジボワールの地で心に決めた。

クリアソンとの離別、そして再会

大学院時代に加入したクリアソン(当時)で、社会人になってもサッカーを続けていた原田。当時から目標は「2025年に世界一」。夢のある話だと思っていたし、自分よりも上手い人たちがひたむきにやっているチームが好きだった。しかし、なかなか試合に出してもらえない、それに対して何の説明もない。そんな経験が重なり、自分の「価値」が認められていないと感じた。

そんな中、高校時代のサッカー部の同期が所属しているサッカーチームが魅力的に思えた。競技者としての高みを目指すために、2012年 クリアソンを退団した。

2013〜2014年は慶應BRB(現・TOKYO UNITED FC)でプレー。実力のある、体育会出身のメンバーのみで構成されたチームで、サークル出身者としては原田が初めての事例だったが、受け入れてもらった。

恵まれたメンバー、恵まれた環境、自分がうまくなる感覚。初年度は目標一歩手前で敗れたものの、強い充実感があった。翌年、実力では劣る自分ができることは何か考えたとき、チーム作りで貢献できることがあるのではと考える。特に、運営面を年輩の方々が完璧に整えてくれていたので、ここに選手がより介在することが意味を持つんじゃないかと考えた。プレー以外での貢献という多彩な「価値」の実現を、このチームでも成し遂げようとしたのだ。

しかし、自分が過去に経験したスタイルは独特で、うまく言葉にできず、メンバーを巻き込むことはできなかった。一選手でいたときには隠れていたが、やはり自分は違う環境から来たんだなと一人疎外感を感じるようになる。コートジボワールのプロジェクトと時期も重なり、活動の参加頻度も極端に落ち、チームを離れることを伝えた。

退団後、原田の足は、関東リーグへの昇格戦へと進んでいたクリアソンの試合会場へと自然と向かっていた。観客席から見るクリアソンのサッカーは、決してレベルが高いわけではなかった。しかし、フィールドはもちろん、ベンチ、そして観客席まで、本当に一丸となって、それぞれの「価値」を発揮している光景を目の当たりにする。自分がイメージする、多彩な「価値」の実現が、そこにあった。

1か月ほどかけて頭を整理し、丸山(Criacao Shinjuku代表)や当時の監督と話をし、最終的には頭を下げ、再びクリアソンに加入することとなった。

もちろん、最初は気まずい思いをした。しかし、だからこそ、結果残さないといけない、と自らを追い込むことができた。なんでもいい。とにかくチームのためになることを見つけ全力で取り組んだ。

ある時、剣持(#22)が、選手のミーティングで「自分がやるべきだと思っていたことに対して、みんなが答えてくれないと感じることがあった。しかし、亮が来てくれてから、一緒にやってくれるようになった。」と言ってくれた。救われた気持ちだった。とにかくチームのためにがむしゃらに行動してきたことが認められた。自分はこれでいい。そう感じることができた。

そんな中、剣持から「株式会Criacaoに来る?」と誘われる。クラブの課題を、株式会社Criacaoからであれば根本解決ができると感じていた原田にとって渡りに船だった。

原田の中で、サッカーとビジネスが、お互いにどう影響を与え合っているか聞いてみた。 

サッカーの試合には「このワンプレーが勝敗を分ける」そんな瞬間がいくつか訪れる。サッカーは90分の試合のために、120分くらいの準備がある。それらを仕事に置き換えると、どうなるだろう?仕事中は、試合中。そう考えると、仕事中に気を抜いてしまっている時間があると感じた。また、会議などの準備の重要性も再認識することができた。

逆に、仕事の思考がサッカーに生きたこともあるという。サッカーは、監督やコーチが練習・試合を見るのは当たり前。毎日、評価もしてくれる。しかし、仕事では、上司に自分の考えをぶつけたり、プレゼンの時間をとってもらえたりすることは週に1度もないのでは?だからこそ、サッカーの練習1回1回がどれだけ貴重か、再認識することができた。 

事実、その週の練習での良し悪しで、スタメンが変わる瞬間がある。1回の練習に、どれだけ魂を込めるか。これが意識できるようになった。中高時代から大切にしていた「両立」。誰よりも「両立」歴が長い原田だからこそ双方向に刺激を与え合い、高めあうことが自然とできているようだ。

多彩な「価値」を発揮できる場を作る

株式会社Criacaoでの原田の仕事はクリアソン新宿の運営責任者兼事業責任者。他にも、パートナーである日本ブラインドサッカー協会では、法人営業チームのリーダー。さらに、経営企画室・室長として、経営全般を見る役割と、多岐に及ぶ。
 
だからこそ、原田が見えている情報量は他のメンバーよりも多い。その情報をどうコントロールすれば、皆が働きやすくなるかを意識して仕事をしているという。自分が、対応したことのないイレギュラーも向き合い、解決すること。それだけにとどまらず、その周辺事象や、類似事象にも対処できるような仕組みを構築すること。

何より、強い目的・目標が生み出すみんなの熱を最大限に生かすため、原田は皆に、「あなたはどうしたいのか?」を求める。組織の各メンバーが、それぞれの多彩な「価値」を発揮できる環境を彼は作っている。

最後に、2025年、クリアソン新宿が世界一になる際に、自身がどうなっていたいか、質問をぶつけてみた。

サッカーに関しては、「わからない」というのが正直な答えだという。ただ、チーム編成上、自分がFWの1枠を使っていることは強く胸に留めている。当たり前のことを当たり前にできたうえで、どれくらいの付加価値をチームに提供できているのか考えないといけない。来年はどうか?常に葛藤している。

仕事面では、夢を抱いて、あるいは成し遂げたい想いを持って、クリアソン新宿に入ってきてくれたメンバーが、それを素直に表現できる環境であるか?を常に意識していたいという。

例えば、岡本(#50)や岩舘(#26)が、Jリーグの舞台を再度目指すこと。競技面での貢献はもちろんだが、運営面でも足止めをしたくない。運営面の制約で、「このチームでは実現性低い。だから夢を語らないようにしよう。」と思われないようにしたい。今後仲間になる、さらに多彩なメンバーが、多彩な「価値」をいかんなく発揮できる場を作っていきたい。

「サッカーの実力がすべて」という環境で苦労した原田だからこそ、いろいろな組織との出会いの中で、多彩な「価値」に気づき、また自らの「価値」を「多彩な価値を皆が発揮できる環境づくり」の中に見出した。今やその「価値」は、チームと経営の両方を支える大きな柱のひとつとなっている。

 

 


written by
浦上嵩玄(うらがみたかひろ)
2020年4月に株式会社Criacaoに入社。中高は勉強一筋。大学はラクロスに打ち込んでいたが、サッカーはほぼ未経験。そんな自分が、なぜサッカークラブ Criacao Shinjukuと、その選手たちに魅力を感じるのか。チームやみんなの想いをもっともっと深く知りたく、取材を決意。

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