Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.6 阿部 雄太「『くやしさ』から『わくわく』へ」

Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.6 阿部 雄太「『くやしさ』から『わくわく』へ」

Enrich the world. を掲げ「誰もが豊かさの体現者となれる社会」を目指す Criacao Shinjukuは、JFL昇格のために2020シーズンを戦う。その中でも、株式会社Criacaoで働きながら、プレーだけでなくビジネス面でも、チームの掲げる理想の体現に挑み続ける選手たちのサッカー人生をひもとく。執筆を担当するのは、2020年4月に株式会社Criacaoに入社した浦上。新型コロナウイルスの影響もあり、ほとんどの選手にまだ会えておらず、ピッチでの活躍も見られていない僕の客観的な視点で、選手であり、同僚でもあるメンバーのCriacao Shinjukuにかける想いを聞いてみた。


「『くやしさ』から『わくわく』へ」 阿部 雄太
2014年から Criacao Shinjukuのゴールマウスを守る#1 阿部雄太選手は、早稲田大学ア式蹴球部から、サークルメンバーが中心だった Criacao Shinjukuに加入し、クラブの成長を支えてきた。株式会社Criacaoのキャリア事業部でも中心的な役割を担う彼は、今に至るまでどんな人生を歩んできたのか。

くやしさの先に

小学生時代には、いわゆる「サッカーがうまい子」だった阿部は、中学で所属したクラブチームで初めての挫折を味わったという。スカウトされる形で入団した阿部。中学1年生の時から170cmの身長があり、自信もあった。しかし、そのチームには、自分と同じ、170cm以上のゴールキーパー(以下GK)がほかにも2人いたのだ。気付いた時にはすでに「三番手のGK」となっていた。

そんな環境で彼が腐らずにいられたのは、「くやしさ」が強かったからだという。誰よりも先に練習に行って、最後まで残り自主練習をする。ラントレーニングでは、ほかのGKには意地でも負けないようにしていた。ありがちかもしれないが、彼は努力で現状を覆そうとしていた。

消化不良の高校サッカー
彼のストイックさ・反骨精神が渋谷幕張高校の監督の目に留まり、スポーツ推薦という形で進学。ここでも彼はまた逆境を経験することになる。厳しい監督、コーチ、先輩。そしてなかなか試合に出られない日々。練習が怖くて、練習時間が近づくとお腹が痛くなって、トイレにこもっていた時期もあったという。

特に2、3回ミスが続くと練習に参加させてもらえないような環境は、中学時代にとにかく努力量を売りにしてきた阿部を苦しめた。しかし、努力量だけでどうにもならない中でも阿部はあきらめない。ここでも彼を支えたのは「くやしさ」だった。

渋谷幕張高校時代も、努力を欠かすことはなかった

「くやしさ」をバネに彼は努力だけでなく思考の工夫も行っていった。自分のプレーを場合分けし、それぞれに何が必要なのか?何が足りてないのか?と思考を続けた。そんな中、先輩GKの負傷がきっかけで、2年生の阿部にチャンスが訪れる。阿部の地道な努力と継続的な思考が実を結び、試合を重ねるごとに着々とGKとしての信頼を得ていった。

特に印象に残っているのは、冬の高校サッカー選手権千葉予選の2回戦。当時、夏のインターハイで全国優勝していた強豪、流通経済大学柏高校との一戦。0対0でPK戦にもつれ込み、そして勝利を手にすることができた。当時の実力差を考えると、大番狂わせだった。この時、つらかったサッカー人生の中でようやく力がついてきたことを実感できた。

しかし、このまま順調には進まない。副キャプテンとなった阿部は、これまで以上のプレッシャーから調子を崩し正GKの座を後輩に奪われてしまう。結局、3年生では公式戦にほとんど出場しないまま、高校サッカーを引退した。
阿部自身の言葉を借りると、高校サッカーは完全に「消化不良」であったという。この「消化不良」が、阿部をさらなる挑戦へと奮い立たせた。早稲田大学への進学と、早稲田大学ア式蹴球部(サッカー部)への入団を決意する。

利己的な自分、利他的な自分

セレクションには4度も落ちた。周りからは何度も反対された。「お前の実力では、早稲田で試合には出られない」と。逆境や、周りの評価を見返してやる!という「くやしさ」がやはり阿部のモチベーションだった。

1年生のころは、努力でなんとかAチームに食らいついていた。しかし、2年生になったとき、1学年下に世代別日本代表のGKが入ってくる。阿部が1年かけて確立してきたポジションは、たった2週間で、奪われた。

阿部の「逆境」は、これだけではなかった。チームにトラブルが重なったことで、公式戦に出場するチャンスを得るものの、7試合目で相手選手の飛び蹴りを食らい、あごの骨を折る重傷を負う。怪我で数ヶ月練習ができない。そうしている間に後輩はどんどんうまくなっている。普通にやっても、勝てない。そう確信した阿部は、そこから「自分には何ができるか」と考え始める。そうして思いついたのが「主務」という仕事だった。

それまで圧倒的な努力と誠実な性格で信頼を得ていた阿部が、周りから評価されていたことは「想いを伝え、仲間を動かす力」だった。ア式蹴球部の主務は、年間約4000万円の予算を動かすことができる役職であり、チームの理念や方針を幹部と一緒に考案し、それを浸透させる役割も担う。

また早慶戦という歴史ある対抗戦の主幹事も務める。簡単な仕事ではないが、自分が理想とするGKになり、試合で活躍するためという、ある種 利己的な理由から、手を挙げた。これまで主務になった選手はプレーを辞め、主務に専念するのが通例だったが、周りを説得し、阿部は「両立」といういばらの道を選択する。

しかし、結果は3年生の試合、40試合すべてベンチ。出場はかなわない。また、主務の業務は想定以上に難易度が高く、量も多かった。これまで誰よりも自主練をすることで結果を出してきていた阿部にとって、主務の仕事により自主練時間が削られることはとてもつらかった。気付いたら、GKとして2番手どころではなく、4番手にまで、立場が下がっていた。

早慶戦「最後の国立
そんな中、主務として本気で向き合ったのが早慶戦(早慶サッカー定期戦)だ。そこで、阿部は自分の価値観が大きく変わる経験をしたという。会場である国立競技場はその年の早慶戦を最後に改修を控えており、阿部を中心に「最後の国立」というコンセプトのもと、著名人からのメッセージや聖火点灯など様々な企画に取り組んだ。

阿部たちが整えた舞台。そのピッチに立ったメンバーが、試合前に高揚で涙していた。試合に出場するメンバーが、この舞台を用意した阿部と握手を交わした。目線があう。気持ちが伝わってきた。阿部と握手した選手が、2点を決め、その年は早稲田大学の勝利で幕を閉じる。自分が出場していない試合。それなのに勝利が本気でうれしかった。この時、「誰かのため」「より多くの人に価値を届ける」ということが心の底からうれしいと感じた。

選手兼主務として、早慶戦というビッグプロジェクトの運営を統括

これまでにない価値を生み出すことの「わくわく」を知った。そして、サッカー自体の調子も上がっていった。4年生の後期には、試合に出られるようになり、リーグ戦での慶應義塾大学戦にも出場。勝利することができた。

この経験を通し阿部は「純粋に利他的に取り組むことが、結果として自分にとってもいい結果を生む」と確信した。

クリアソン新宿との出会い

大学サッカーを引退した阿部は、もともとサッカーを続けるつもりはなかった。しかし、高校時代の先輩の紹介で、クリアソン新宿代表の丸山と出会い、クリアソン新宿のメンバーと出会い、その熱量や信頼関係の強さに魅了されたという。クリアソン新宿が掲げる、2025年の世界一。自分がそれを成し遂げる一員となりたい、と思った。これまでにない新しい形のクラブチームを作ることに「わくわく」した。早慶戦を経験してから、阿部のモチベーションは「くやしさ」から「わくわく」にかわっていた。

入団したその年に、東京都社会人サッカーリーグ1部を優勝という結果。クリアソン新宿に、早稲田ア式蹴球部での経験をどんどんもちこみ、練習の質を向上させた。サークル出身メンバーが多い中、格上のチームに勝利することはとても「わくわく」した。

数年前まで、体育会出身者はほとんどいなかった

選手としてだけでなく、株式会社Criacaoでのインターンも始めた。新宿区との協同事業や、体育会学生向けの部活動・キャリア支援など、今までにない経験ができているという実感と「わくわく」感があった。

どん底の社会人1年目
社会人となってからも、クリアソン新宿でサッカーを継続する。しかし、ここからがまた困難の始まりだった。入社当初は同期でもトップの営業成績を上げていたにもかかわらず、気付くと最下位に。

「インターンを経験していたから」とか「高い成績を上げているから」とか、そういった気持ちからエゴが強くなり、周りと対立し、顧客からクレームをもらうこともあった。結果を出さなければいけないと焦れば焦るほど「利己的」になり、意識していたはずの「利他性」はどんどん失われていった。メンタルと身体がボロボロになり、サッカーのコンディションも低下していく中、サッカーでもこれまで通りの主張を続けた自分は「口だけ人間」になってしまっていたという。

苦しかった。大学サッカーで学んだ「利他性」は仕事でもサッカーでも完全に失われていた。そして完全に失って初めて、現状に気づくことができた。

仕事では大阪への転勤を機に、もう一度「利他性」を意識して働き始める。当たり前のことだが、自分が結果を得るためには、誰かに何かを与える必要がある、顧客の目線で仕事をするようになり、少しずつ成果も出るようになっていった。また、それと連動するようにサッカーでも、少しずつ結果を出せるようになってきた。

そんな矢先、もう一つの転機が阿部に訪れる。インターン時代の上司であり株式会社Criacao 取締役CSOの竹田から「株式会社Criacaoで働かないか?」とオファーがあったのだ。当時仕事はかなり持ち直し、成果も出ていたこともあって悩みに悩んだが株式会社Criacaoの現状を聞いているうちに、自分にできることがたくさんあると感じ、最終的には転職を決意。

株式会社Criacaoでは、前職の経験を活かし、キャリア事業部で学生の就職活動、企業の採用活動の支援を行っている。今のキャリア事業部では、これまでの阿部の取り組みがベースになっているものが、とても多い。

1%でもできることは?
株式会社Criacaoに入社するのと時をほぼ同じくして、クリアソン新宿での阿部の試合出場機会は減った。しかし、阿部は腐らない。努力を辞めない。大学時代に学んだことを活かし、組織をよりよくするために、今、自分が2番手、3番手だったとしても、何ができるのか?と常に意識して行動している。

プラスになることをやり続ける。まだ皆の動きが硬い試合開始 5〜10分に、ピンチの時に、誰よりも声を出す。ベンチメンバーに対しての声掛け、情報共有。ピッチ内の選手に対しての声掛け。セットプレーの確認。アップの時のスタメンGKのサポート。1%でもチームにできることをやる、阿部はそれを誰よりも強く意識している。

いついかなる時も、チームに貢献する

ALL Criacao
阿部の口からは「ALL Criacao」という言葉が何度も出てきた。ALL Criacaoとは、Criacao Shinjuku、Criacao Shinjuku Procriar、Criacao Shinjuku Futsal、そして株式会社Criacaoに関わる人々を包括する言葉だ。阿部はあまり「ビジネス」と「サッカー」を分けてとらえていないという。一つの部活動の中で「主務」の自分と「選手」の自分が存在している感覚だと。

サッカー選手がビジネスでも活躍するなんて無理だ。仕事をしながらJリーグに行くなんて無理だ。そんな「どうせ無理」を、阿部は覆したいという。中学・高校のころの阿部だったら、きっと「くやしい」という気持ちからくるものだろう。しかし早慶戦の成功体験や社会人での挫折を経た、今の阿部の原動力は、新しい価値を生み出すことへの「わくわく」へと変わった。

2025年、クリアソンが世界一のフットボールクラブとなったとき、自身がどうありたいか、聞いてみた。

ビジネスマンとしては、一つの組織を経営している人材でありたい。自分の想いを伝え、仲間が生き生きと活躍しているような組織のリーダーでありたい。選手としては、自分がどんな立場だったとしても、チームに与える影響にとことんこだわれている選手、どんな立場だろうと支えている存在でありたい。そう答えてくれた。

「くやしさ」を乗り越えた先の「わくわく」を胸に、阿部は「ALL Criacao」の中で多方面に輝き続けている。

これまでの経験が、大切なことに気づかせてくれた

 

 

 


written by
浦上嵩玄(うらがみたかひろ)
2020年4月に株式会社Criacaoに入社。中高は勉強一筋。大学はラクロスに打ち込んでいたが、サッカーはほぼ未経験。そんな自分が、なぜサッカークラブ Criacao Shinjukuと、その選手たちに魅力を感じるのか。チームやみんなの想いをもっともっと深く知りたく、取材を決意。

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