Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.5 高橋 滉也「仲間のために走り続ける」

Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.5 高橋 滉也「仲間のために走り続ける」

Enrich the world. を掲げ「誰もが豊かさの体現者となれる社会」を目指す Criacao Shinjukuは、JFL昇格のために2020シーズンを戦う。その中でも、株式会社Criacaoではなく、それぞれの企業・大学に所属しながらプレーする選手たちにスポットを当てた連続企画。出身はJユースからサークルまで、現所属は大手企業から大学生まで、それぞれの立場の過去・現在・そして未来へと続くサッカー人生をひもとく。執筆を担当するのは、鹿屋体育大学サッカー部出身、現在はインターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う 深澤 大乃進。選手たちの、昔と変わらない姿・変わっていく姿の両面に、第三者視点から迫る。


「仲間のために走り続ける」高橋 滉也
大卒2年目、チームのためにピッチを駆け回る高橋選手を取材。宮城県の塩釜FCで育ち、東京学芸大学を経て、Criacao Shinjukuに加入。そんな彼が大切にしていることは「誰かのためにプレーすること」。純粋無垢な心を持ち、他者への貢献心が強い高橋選手の、過去と今に迫った。

人生の軸が生まれた被災経験

宮城県に生まれ、父の影響でサッカーを始めた。小学生の頃からサッカーの才能には秀でており、県選抜や東北選抜に選出されていた。中学校進学時は、地元の強豪クラブ、塩釜FCに加入。中学二年生の高橋は順調なサッカー生活を送っていた。出場した全国大会では Jリーグクラブのジュニアユースチームと互角に戦いを繰り広げ「全国でも通用する」と自信をつける。本格的にプロサッカー選手を目指すようになった。

そんなときに、今まで経験したことのない出来事が高橋を襲った。2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災である。地震発生時を振り返り「本当に信じられなくて、夢を見ているようだった」と話した。車はバウンドし、校舎のガラスは割れ、水道管は破裂、地面から水が噴き出ていた。16時ごろに帰宅したが、共働きの両親との連絡がつかない状態が続き、18時ごろにやっとスーパーの駐車場で再会した。家の中も悲惨な状態だったため、その晩は車の中で過ごしたという。何がなんだか、整理できなかった。地元の塩釜市には、地震だけではなく津波の被害もあった。

震災後、高橋の中で新しい気づきがあった。それは「誰かのために頑張ること」が自分の活力になること。震災によりサッカーができない日々が続いたが、その後、全国大会の出場が決まった時には、地元の塩釜市の人たちは、直接「頑張ってね」と言葉をかけてくれたり、遠征費を一部寄付してくれたり、身を削ってでも応援してくれた。また、大会期間中は地元の新聞を通じて、チームの活躍が地元の人たちへ伝えられ、勇気を与えていることを実感した。「震災前までは好き勝手サッカーをやっていたけど、この経験を通して自分を犠牲にしてでも誰かのために頑張りたいと考えるようになった」と話した。

塩釜FCのユースチームでは、中心選手だった

高校は、塩釜FCのユースチームに昇格。高校一年生、二年生は苦しい時期。悔しかったことが二つあったという。一つ目は、一年生の時に宮城県選抜として国体に出場した時のこと。経験を買われキャプテンに任命されたが、リーダーとしての立ち振る舞いができなかった。選抜には、高校まで県外にいた選手が多く、練習回数も限られていたため、チームとしてのまとまりが生まれなかった。結果も初戦敗退。「個人として何もできず、チームとしても結果が残せなかった」と振り返った。二つ目は塩釜FCでのこと。先輩がいる中で試合に出ていたが、自分のプレーが結果につながらない。目標に掲げていた全国大会出場も叶わなかった。「自分のプレーが勝利に繋がらず、チームや先輩に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった」と話した。

三年生になると一、二年生時から試合に出ていたという自信、チームの中心選手としての自覚から「自分がこのチームを引っ張る」という気持ちがより強くなった。そして、夏は念願の全国大会に出場。だが、結果はグループ予選で敗退。全国大会出場は叶ったが、結果が残せなかった悔しさをチーム全員が感じていた。「冬の全国大会は決勝トーナメントを勝ち進む」という目標を立て、厳しい練習に身を投じた。この期間はとても印象に残っていると話す。最寄りの駅からグランドまで走り、シャトルランを20本行い、通常通りの練習を行う。夏休み期間の練習は10時から18時まで二部練習。きつい練習を乗り越えられたのは「あいつが頑張っているから、おれも頑張ろう」と思えるチームだったからと振り返る。監督も「一人で練習をやっているわけじゃないんだぞ」と口酸っぱく選手たちに伝えていた。練習を重ねるたびにチームに一体感が生まれ、冬の全国大会では Jリーグのユースチームに対しても臆せず戦い、ベスト16まで勝ち進んだ。「チーム全員が『あいつのために』と思ってプレーしていたからこそ、強い相手にも勝つことができた」。高校卒業後、監督が「仲間のために傷を負うことすらいとわないチームだった」とSNSに投稿した通り、まさにそんなチームだったと話した。


中学では「応援してくれる人のため」高校では「一緒に頑張るチームメイトのため」といつも、誰かのために頑張る姿勢が高橋選手の魅力だと感じた。特に「地元の人を元気にするために、サッカーを頑張る」という高橋選手の言葉がとても印象に残った。

また、高校時代のエピソードから、高橋選手が喜びを感じるのは「自分のプレーでチームを勝利に導くこと」だと感じた。自分が試合に出ていても、チームが勝てないと悔しさを感じる高橋選手は、自分が誰かのためになっていることを実感し、充実感を感じるのだろう。

自分を見失ったことで気づいた「誰かのために頑張る」大切さ

プロサッカー選手を目指し、関東大学サッカーリーグに所属していた東京学芸大学へ進学。入学当初は部員数、レベルの高さに圧倒された。「80人の中から11人に選ばれないといけないの?」「トップチームの選手でさえ、プロに行けないのか」とプロサッカー選手になる道が遠く感じた。

二年生の後期リーグから試合に出場できるようになったが、全く上手くいかなかった。「試合に出るために上手くこなそう、ミスしないようにプレーしよう」と考えるあまり、萎縮したプレーになってしまった。そうしてミスを重ね、負のサイクルに陥る。当然、持ち味は出せなかった。

東京学芸大学サッカー部時代の高橋

入学当初は「プロになりたい」「試合に出たい」という気持ちが強く、自分にベクトルが向いていた。しかし、過去の自分を振り返ると、周りのために頑張ることが、力を最大限に発揮することに気づいた。それは中学、高校時代に大切にしていた「誰かのために、チームのために」という考え方である。「自分がミスしないようにプレーする」から「自分がミスをしても、周囲のミスをカバーすればいいじゃないか」と高橋は考え方を変えた。ミスへの恐怖心が克服され、次第に自分の持ち味を出せるようになり、試合でも納得のいくプレーを続けることができた。

最終的には、上手くいったように見える大学生活だが、高橋には後悔していることがあった。それは、チームとしての一体感を生むために、自分から行動できなかったこと。大学では、高校時代のような一体感を感じられていなかった。「部員が多く、それぞれの目標を追いかけるあまり、チームとしては同じ方向を見られなかったのではないか」と振り返った。「もし、もっと一体感があれば、チームとして良い成績を残せたのかもしれない」と悔しそうに話した。


高橋選手が大切にする「誰かのためにプレーする」という信念が形成されたのは大学での四年間ではないだろうか。もちろん中学校、高校とその信念は持っていたが、大学入学で周囲の人や環境が大きく変わって、より一層その大切さに気づけた、それが高橋選手にとっては重要だった。今後、また環境が変わったり、難易度の高い問題にぶつかったりしても、迷わず「誰かのため」という信念を持って頑張ることができるはずだ。

届きそうで届かなかったプロ、それでも見つけた輝く場所

大学四年生の四月、前期リーグの開幕前という大事な時期に骨折し、夏までサッカーができなかった。怪我の間「プロになれないかもしれない」と思う一方で「でも、本当にプロサッカー選手になりたいのか?」と、自分の本心に向き合うようになった。結果的には、オファーも届かなかったため、大手人材会社への就職を決めた。

就職が決まった後は「サッカーをやめよう」と考えていたが、サッカーのある生活が恋しくなり、離れられない自分がいることに気づいた。そこで「比較的レベルが高いチームがあれば、そこでやるのも良いかな」と考え、社会人チームを探し始めた。そんな矢先、東京学芸大学サッカー部の同期、千葉丈太郎(#25)に「クリアソン新宿の練習に参加してみないか」と誘われた。

クリアソン新宿代表の丸山との面談を通じ、クリアソン新宿が大切にしている「チームのために、全員が一生懸命に頑張る」文化が「誰かのため、チームのためにサッカーをする」という、高橋自身が大切にしている価値観とマッチしていた。実際に練習参加してみると、その文化が根付いているだけでなく、クリアソン新宿のメンバーが、社会人として働きながら、サッカーに本気な姿に憧れを抱き、加入を決めた。

チームのために頑張ることが当たり前の組織では、高橋は自分のプレーに集中できた。そして、様々な経験を積んだクリアソン新宿のメンバーと、サッカーへの考え方についての議論を繰り返すことで、日々成長を実感している。「大学時代よりサッカーが上手くなったんじゃないかな」と嬉しそうに話していた。

主戦場をサイドハーフからボランチに移し、17試合に出場した2019シーズン

筆者も高橋と同じ社会人二年目。「正直、仕事との両立は大変じゃないの?」と質問した。「もちろん、仕事とサッカーの両立は大変だよ」と話し、続けて「それを乗り越えるために、どんなに小さくても、誰かのためになったことに喜びを見出し、全力で楽しむようにしている」と教えてくれた。クリアソン新宿のメンバーから、仕事に取り組む姿勢を学べていることも大きいようだ。

最後に、将来についても聞いてみた。将来の目標は震災直後の想いと変わらず「自分の行動で、元気を出してくれる人を増やしたい」。眼差しは真剣だった。クリアソン新宿が目指す未来へ、自分を重ねながら頑張る高橋に注目だ。

自分のサッカーが誰かに勇気を与えることを、高橋は知っている

高橋選手が大切にする信念と、クリアソンの文化がマッチしていたことが、サッカー面での成長を実感している大きな理由ではないだろうか。また、高橋選手がプロではなく、就職やクリアソン新宿への加入を選択した理由は「ただプロになって活躍すること」よりも「誰かのために一生懸命頑張ること」「みんなが仲間を思いやって、サッカーをする環境」が大切だったからなのだろう。純粋に、誰かのためにプレーする高橋選手の活躍を、早くこの目で見てみたい。関東サッカーリーグの開幕が非常に楽しみだ。

 

 

written by
深澤 大乃進(ふかさわ ひろのしん)
学生時代は選手兼広報として、SNS運用や集客を担当。現在は、インターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う。会社の同僚が所属していたことをきっかけに、クリアソン新宿を知る。クリアソン新宿のメンバーと話していく中で、チームの方向性や活動する選手たちに魅力を感じ、取材を決意。

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