Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.2 江幡 駿「ピッチ内外で、チームのために」

Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.2 江幡 駿「ピッチ内外で、チームのために」

Enrich the world. を掲げ「誰もが豊かさの体現者となれる社会」を目指す Criacao Shinjukuは、JFL昇格のために2020シーズンを戦う。その中でも、株式会社Criacaoではなく、それぞれの企業・大学に所属しながらプレーする選手たちにスポットを当てた連続企画。出身はJユースからサークルまで、現所属は大手企業から大学生まで、それぞれの立場の過去・現在・そして未来へと続くサッカー人生をひもとく。執筆を担当するのは、鹿屋体育大学サッカー部出身、現在はインターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う 深澤 大乃進。選手たちの、昔と変わらない姿・変わっていく姿の両面に、第三者視点から迫る。


 

「ピッチ内外でチームのために」クリアソン新宿を背中で語る男
チーム在籍8年目、ピッチ内外の献身的な姿勢でチームを支える江幡選手を取材。まるでジェットコースターのような、そして少年漫画のような経験を話してくれた江幡選手は、ストイックな一面を持ちつつも、ユーモアに溢れる魅力的な選手であった。

父親がサッカー好きだったこともあり、サッカーを始めた。同時に剣道のかっこよさへ憧れを抱き、小学四年生までサッカーと剣道を両立を目指したが、しだいに難しくなり、サッカーを選択する。剣道を続けなかった理由は「面打ちが痛すぎたから」であった。サッカーを選んだ江幡を待っていたのは、真夏でも水一滴も飲めない、ミスをしたらグラウンド10周、地域の決まりを越えた練習時間、そんなスパルタチームだった。

当時を振り返り「サッカーがめちゃくちゃ嫌いになり、義務感でサッカーを続けていた」と教えてくれた。しかし、中学生になった江幡を待っていたのは真逆の、お世辞にも厳しいと言えない環境だった。今度はサッカー部と陸上部を兼部した。小学校時代の反動でサボることもあり、陸上部での思い出の方が多いと語った。当時を振り返り「中学時代、もっと真剣にサッカーをやればよかったと後悔している」と話してくれた。中学校に上がるタイミングで水戸ホーリーホックのジュニアユースチームが発足し、声をかけてもらっていた。「そこでプレーしていたら、また違った世界が見られたかもしれない」と考えていた時もあったが、一方で「中学校でサッカーに打ち込まなかったから、今でも燃え尽きずにサッカーを続けられている」とも話してくれた。

高校選びは、学力と、好きな女の子が進学することで決めた。ここまでは、まるで少年漫画のお茶目な主人公のようなエピソードであるが、この高校時代の経験が江幡のサッカー観を大きく変えた。強豪校であったため、周囲には全国大会経験者、Jリーグのジュニアユースや地域の名門クラブ出身者が多かった。必然的に上級生の試合に選ばれるのは彼らだった。江幡の公式戦デビューは2チームに分けて出場した新人戦。ゴールキーパーがいなかったため、新入生が担当することとなり、選ばれたのが江幡だった。

この悔しい経験は「なぜ、俺を見てくれないんだ、俺だってできる」と反骨心に変わり、サッカーに打ち込んでいくことになる。チームでの練習後に2時間以上自主練習の末、一年生の夏頃から自分自身のプレーができるようになり、最終的には冬の高校選手権予選に、部員100人の中から一年生ながらにメンバー入りを成し遂げる。この経験は大きな成功体験となり、「ストイックに努力すれば、それは自分に返ってくる」と知った江幡は、三年間サッカーに没頭していった。


高校の入学理由には驚かされたが、江幡選手のサッカーへの情熱が生まれた時期は高校時代であると感じた。彼の中で「誰かに認められたい」「自分を見てほしい」という気持ちがサッカーを頑張る理由となっていると知ることができた。

「認められたい」という気持ちが強い人は行動がともなっていないことが多いのでは、と筆者は考える。しかし、江幡選手のすごいところは、しっかりと結果を残している点である。高校時代のエピソードを通じて、自分の欲に忠実に、ただ誰よりも貪欲に頑張ることができる選手だと感じた。

サークル日本一を目指した大学時代

高校でサッカーを辞めるつもりだった。楽しく燃え尽きた感覚があり、ダンスサークルに入るつもりだった。ダンスサークルの説明会に行く途中、サッカーサークルである、中央大学体同連フースバルクラブから勧誘を受けた。フースバルクラブの説明会で、当時キャプテンであった林昂史の言葉に影響を受け、再びサッカーをする決意をした。「目的のために自分たちで考えて行動をしていく」「サークルでの日本一を目指している」という林キャプテンの言葉に惹かれた。

加入後はレベルの高い環境に衝撃を受けた。Jリーグのユース出身、高校選手権の全国大会経験者、高校時代より格段にレベルが高かった。しかし、江幡の行動は高校時代と同じだった。「周囲から上手いと思われたい」「試合に出たい」という欲望に素直に、高校時代のように人一倍努力した。その結果、一年生ながらレギュラーを獲得、全国大会でも準優勝と好成績を残す。この時「まだまだサッカーが上手くなれるんじゃないか」と感じ、サッカーに明け暮れた。

中央大学体同連フースバルクラブではキャプテンをつとめた

順調に見えた大学生活。しかし、キャプテンとなった大学三年時に新たな壁にぶつかった。様々なモチベーションのメンバーが在籍する“サークルならではの難しさ”を痛感した。そこで、江幡はプレーで引っ張るタイプのキャプテンに徹し、自らが気持ちの入ったプレーで、一生懸命にサッカーに取り組む姿勢を見せた。

しかし、重圧に押され、徐々に自分の思うようなプレーができなくなっていく。チームのことを気にかけすぎて、自分のプレーに集中できないことが増えていった。ある試合で、相手選手に「あのキャプテンマークつけているやつが穴だぞ」と言われ、敗北を喫し、キャプテンマークをつけられなくなるほどトラウマになった。

この経験から、自分ができる範囲、力を借りないといけない範囲を認識し、周囲の力を借りることの重要性に気づいたという。「戦術やチームのことに関しては周囲と協力してやる、自分は自分がサッカーを上手くやれるように集中する」と気持ちを切り替え、最後の全国大会では優勝には至らなかったが、準優勝という華々しい結果を残すことができた。また江幡自身も自分の納得いくプレーをすることができたと、感想を語ってくれた。  


キャプテンとしての経験が、今の江幡選手の特徴でもあるチームのために行動する力の原点となっていると考えた。話を通じて、江幡選手はメンバーに寄り添うタイプのリーダーではなく、自分の行動でチームの方向性を示していくタイプのリーダーと考えた。この行動で示すという江幡選手の特徴がクリアソンでの行動を物語っているのではと感じた。

Criacao Shinjukuを継承する存在として

クリアソン新宿に加入したのは大学四年。加入するきっかけとなったのは、大学時代の先輩の林昂史(2012年、2015年在籍)と戸田和磨(2012年〜2016年在籍)の二人がプレーしていたからだであった。社会人としてサッカーを頑張る姿がカッコよく見え、憧れの感情を抱いた。

一方で、社会人でサッカーを続ける大変さも身近に感じていた。練習に集まるメンバーも日によって変わり、30人ほど所属している中で10人ほどしか集まらない状態だった。在籍、8年。江幡はチームの変化を「草サッカーからサッカークラブへ変化した」と語った。立教大学、早稲田大学、中央大学などの大学サークル出身の選手たちが母体となって発足したクラブ。創設当初はサークル出身者で形成され、江幡が加入した時もサークル出身者のみであった。チームが東京都社会人サッカリーグ三部の時代から現在に至るまで、体育会出身選手の加入、Jリーグ出身選手の加入、そして成山監督の加入を大きな出来事として語り、この8年間の中でチームの強さだけでなく、練習への参加率向上などから組織としての変化を感じたと語った。

ベンチから出場機会を待つ江幡

江幡自身の変化も当時を振り返りながら話してくれた。所属をCriacao Shinjuku ProcriarからCriacao Shinjukuに変えてからは「自分が努力して認めてもらいたい」という感覚から「自分が試合に出ている時ではなく、試合に出ていない時にどう貢献できるか」を考えるようになったと、思考の変化を語った。

その理由は、歴代のメンバーが築いたクリアソン新宿の文化と、チームを離れていく先輩たちの言葉だった。大学のサッカーサークルはメンバーが多く試合に出られないメンバーが多いため、試合に出られない人がチームのために頑張ることを大切にしていた。サークル出身者で形成されたクリアソン新宿には、ピッチ内外に関係なく、チームのために頑張る文化があった。そして、様々な事情でチームから離れることになった先輩たちも共通して「自分のためだけじゃなく、チームのために何かしたいと思える組織だった」と言葉を残していった。

「(試合に出ていないメンバーが)チームのために動くことは、チームにとってマイナスのことはなく、プラスしかない」と、試合に出られない時にはウォーミングアップの仕切り、ボトルの準備などを誰よりも積極的に行った。そして、新しく加入した選手には、こうしたクリアソン新宿の歴史や文化を伝えるように努めた。「自分だけが行動できても良い組織にはならない」と語る江幡の行動は、メンバーへと確実に波及している。そして「新しい選手が、歴史を知ってプレーしてくれたらOBも嬉しいはず」と誇らしげに話してくれた。

と、ここまでクリアソン新宿での選手生活が美談すぎたので「ぶっちゃけ大変ではなかったのか」と聞いた。「今は、仕事以外でも、追いかける目標があることにとても充実感を感じている」と語った。また美談かよ、と読んでいる方は思われるかもしれないが、2、3年前は「すごく悩んだ」と赤裸々に話してくれた。周囲には仕事のためにビジネススクールに通う人、趣味に没頭する人など、チャレンジをする人たちを見て「自分にはサッカーしかない?本当にそれで良いのか?」と考えていた。

しかし、あるタイミングから「仕事もサッカーも本気でやっていて、すごいよね」と職場の人から言われるようになっていった。「もし、英会話スクール行ったら、新しい出会いがあったのかもしれない。でもそれは5年後でもできる。サッカーは、クリアソン新宿に関われるのは今しかない。やりたくてもやれなくて辞めていった先輩たちがいるから、自分がやらないわけない」と熱い胸の内を語った。「まだまだサッカーが上手くなれる楽しみがある、上手くなった自分で戦いたい」という欲求と「8年目の選手として、OBのためにも、チームのマインドを継承する」という貢献心を忘れずに、江幡はクリアソン新宿で挑戦を続ける。

 

全社予選のブリオベッカ浦安戦でのゴールは、記憶に新しい

高校や大学時代は、競技力の向上に貪欲な選手という印象があった。クリアソン新宿に入ったことで、チームのためにも行動できる選手に変化していったのではと考える。クリアソン新宿のエピソードを通じて、チームの変化の中で江幡選手の思考と行動も変化していく点がとても興味深かった。

日々、何気なく過ごすのではなく、自分とチームに目を向けながら取り組んでいる江幡選手の真面目さが伝わってくる。また、「チームのため」という行動の根元には、クリアソン新宿のOBへの想いや感謝が詰まっている点に、第三者ながらに感動を覚えた。江幡選手の人の良さだけでなく、クリアソン新宿がクラブとして大切にしていることを感じることができた。

何より、数年前のサッカーを続けるかを葛藤するエピソード。「やっぱり、そうなる時期ありますよね」と心の中で共感しながら、話を聞いていた。ただ、葛藤や心の揺れがありながらも、自分自身がサッカーを続ける意味、クリアソン新宿に在籍する意味を見出し、頑張る姿勢に尊敬の念を抱いた(自分ならビジネススクールか英会話教室に通い始めます 笑 )。

取材後にぽろっと「(8年目ということもあり)偉そうになってなければ良いなー」という率直な言葉がこぼれた時は、彼の謙虚さが垣間見えて、益々応援したい気持ちになった。

 

 

written by
深澤 大乃進(ふかさわ ひろのしん)
学生時代は選手兼広報として、SNS運用や集客を担当。現在は、インターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う。会社の同僚が所属していたことをきっかけに、クリアソン新宿を知る。クリアソン新宿のメンバーと話していく中で、チームの方向性や活動する選手たちに魅力を感じ、取材を決意。

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