このたび、Criacao Shinjukuに所属しております水谷友哉が、2022シーズン限りで引退することとなりましたので、お知らせいたします。
水谷 友哉(みずたに ゆうや)
ポジション
GK
出身/生年月日
愛知県/1999年9月7日(23歳)
身長/体重
187cm/82kg
経歴
木曽川FC→名古屋グランパスU-15→名古屋グランパスU-18→阪南大学→Criacao Shinjuku
出場記録
日本フットボールリーグ(JFL):0試合
コメント
ファミリーのみなさま、いつも共に闘ってくださり、ありがとうございます。突然のご報告となりますが、わたくし水谷友哉は今シーズンをもってサッカー選手を引退いたします。
この報告を聞いて、「ようやく引退したか」「まだまだこれからなのに」と、ありがたいことにたくさんの声をいただけると思います。そういったみなさまの声こそが、自分を何度も起ち上がらせてくれました。
思えばサッカー人生の半分以上がリハビリ生活でした。とにかく苦しかった。とにかく辛かった。もう自分が自分でいることすら難しかった。そんなピッチでの「記録」が少ない自分が、なぜここまでサッカーを続けてこられたのか、ここまで昇りつめられたのか振り返ったとき、そこにはいつも誰かしら全力で支えてくれる人がいました。
出会う人、タイミングにはありがたいことに、幼いころから、とても恵まれていたなと思います。フットボールと歩んだ16年。同時に「素人」「下手くそ」と言われ続けた16年。純粋にサッカーを楽しいと思えなくなったのはもう、とうの昔です。
なぜ、サッカーを続けてきたか。それは、サッカーを続けることで喜んでくれる存在が自分にはいてくれるからです。怪我でプレーができなくて、卓越したテクニックもなく、高いサッカーIQもない自分。それなのに、嘘でも必要としてくれるクラブが、望んでくれる人がいたからこそ、どんなことがあっても、犠牲を払ってでも続けてこられました。
ただ、自分がクラブを選ばず、サッカーを続けることは難しい事ではないと思います。
こんなに記録がない自分がどうして「クリアソン新宿」「阪南大学」「名古屋グランパスアカデミー」に所属できていたか。それは揺るぎない「覚悟」があったからだと思います。すべてを犠牲にして、チームの一勝のために一生を終えても良い。そのくらいの覚悟を持ち続けていました。その想いがきっと進路に繋がったのではないかと思います。
ピッチに入る前は、恐怖と不安に毎回追われています。チーム全員の人生は自分にかかっている、自分が失点をすることはチームが敗北することになる。それはチーム全員の進路、生活を自分が壊してしまうかもしれないと、大袈裟に聞こえてしまうと思いますが、自分が世界と勝負できる部分は間違いなく「気持ち」「覚悟」でしか闘えないと自負していました。
だからこそ、試合であっても練習であっても一瞬のためらいが一度でも起きたときには引退すると決めていました。この決断に後悔はありません。
自分は人生において証明ができたのではないかと思います。本気の「覚悟」を決めることができれば、どんな人でも成し遂げられるということを。その覚悟は人それぞれだと思います。自分を客観視した上で、目標に対してどれだけ行動をしていかなければいけないか。これは他人ではなく自分自身で、向き合う必要があると強く感じました。
時に孤独を感じることもありました。ですが、自分が真っ直ぐ全力で取り組めば、必ず自分を手助けしてくれる人がいるというのも事実です。
今後の活動については、自分がどのような選択をし、歩んだとしても応援し続けてもらえたらとても幸せです。「水谷友哉で出来るなら、俺にも出来る」「なぜだかわかんないけど、私も明日から全力で生きよう」そんな影響を与えられる人間になりたいと思っています。
長い文章になってしまいましたが、こんな自分を応援、指導してくださった皆様に心から感謝しています。自分らしい形で恩返しを必ずさせていただきます。本当にありがとうございました。
水谷 友哉