理念をカタチにできれば、社会は変わる Chapter 12 剣持雅俊

Criacao Index ~豊かさの体現者たち~
Chapter 12


取締役COOの剣持は、高校から付き合いがある代表取締役社長CEOの丸山と共に株式会社Criacaoを創業しました。2013年から弊社サッカークラブCriacao Shinjukuの現役選手と経営者を続けている剣持に、創業からこれまでの知られざるストーリーや未来への想いについて聞きました。

__Criacaoを知ったきっかけと創業の経緯を教えて下さい

まず、クリアソンは、代表の丸山が大学4年生のときに立ち上げたサッカーチームです。丸山とは桐蔭学園高校サッカー部の同期生でしたが、サッカーチームを創っていたことは全く知りませんでしたし、そもそも、特別仲が良いというわけではありませんでした(笑)。

そんな感じでしたが、クリアソンには、桐蔭の同期のキャプテンもいて、彼から、留学から帰ってきた自分に「就職関係で相談に乗って欲しい人がいる」と他のクリアソンメンバーを紹介されたことが、クリアソンとの出会いになります。2、3年は活動への誘いは断っていたのですが、東京都リーグに参戦するタイミングで一度参加してみました。久しぶりにサッカーをする自分を温かく迎え入れてくれたことや、色々な場所で働いている人が集まってサッカーをしていることが面白く感じました。

そこから、正式に入り、チームとしては「上を目指そう」と言いながらやっていました。でも、寝坊や遅刻、連絡も無く欠席、土曜日の練習でも2、3人しか集まらない日もあり、上を本気で目指す実体が伴っていなかったというのが、正直なところです。だから、原田亮は一度入ったものの、「言っていることとやっていることが違う」と言って、辞めた経験があります。

創業の経緯としては、2012年秋に東京都リーグ2部から1部への昇格が難しいという状況になって、丸山が当時の勤務先にいきなり退職の意思を伝えました。本当は2014年に法人化を目指していて、期限を前倒してのタイミングとなったので、自分も一緒に起業すべきか決めかねていました。ですが、丸山が平日の日中に自分が働いていた会社の近くまで来て、ノートに手書きした事業計画書的なものを見せて「どう思う?」って。「これじゃ無理だろ(笑)」と思うような提案ばかりだった気もしますが、必要としてくれていると感じて、共に歩むことを決めました。前職のヘッドハンティングの仕事もずっと続けていくのかは常に迷いがありましたし、起業して2年で結果が出なければ、一度会社は解散しようという期限も丸山と決めていました。

自分も分からないことだらけで、とにかく2人でいろいろな方に会いに行きましたね。丸山の理念を語りながら、人を巻き込んでいく力は抜群でした。ただ、丸山にとっても自分が横にいることで、その理念をぶれることなく力強く発信できたのではないかとも思ってます。まだ何も持っていない、夢物語を話すやつに既に退路まで断ってきた仲間がいるぞ的な(笑)。役割分担ができていて、丸山はゼロイチが得意で、自分はイチをどう広げるかが得意だと思います。思考のアプローチは、真逆だったかもしれません。丸山はトップやリーダーから変えていくやり方、私はマイナスをプラスに変えられるような裾野に想いや目が向きがちです。違う視点を持つからこそ、お互いの強みを活かせる関係かなと感じています。

__創業後どんな仕事をしてきましたか?

いろいろなことをしていましたね。粗く言えば、キャリアの事業とブラインドサッカーに携わる事業からスタートしています。キャリアの事業では、委託で採用面接の代行から始まり、会社の説明会やコンタクトから決定まで責任を持つ採用業務、学生向けイベントの実施、そこから体育会学生にスコープ(対象)を移していきました。ブラインドサッカーの事業では、体験会の運営、研修コンテンツの拡販、協会のパートナーの開拓などをしてきました。とにかくどうやってお金を生み出すかに注力していましたが、1年目が終わって、「なんで起業したんだっけ?」ということを話しました。事業の型が決まっていたわけではなく、何でもできる状態ではあったので、何をするのか、何をしないのかを整理するようになりました。

__思い出深い仕事場面を教えて下さい

本当にたくさんありますね。1つだけ選ぶのは難しいですし、当時は仕事という感覚ではなかったですが、自分が関わり、原田亮が入社してくれたことが思い出深いですね。ソニーという日本を代表する企業を辞めてまで、何もないクリアソンに入社してくれたこと、もともとサッカークラブに選手として在籍していたけれど辞めて、もう1度来てくれたことも嬉しさを倍増させました。東京体育館の近くのカフェで話したのを今でも覚えてます。

会社的にも必要不可欠だし、サッカー選手としてもチームにとって必要な存在です。今は、みんなが自分の想いを言葉にするのがクリアソンの文化みたいになっていますが、それを培うことができたきっかけは亮だと思います。必要だと思うことがあれば、たとえ厳しいことでも伝えてくれます。仲が良いからこそ、思ったことをちゃんと伝えるのは勇気がいります。この行動の積み重ねで、今のクリアソンがあると考えています。

__大変だった仕事はどんなことですか?

特定の仕事ではありませんが、1年目が1番大変でした。「なんのためにクリアソンを創ったのか?」という問いに1番向き合いましたね。お金を作ることと理念が繋がっているかという部分です。

今も覚えていますが、1つの仕事として会社近くの小学校の学童保育にサッカーを教えに行っていました。価値があることをやっている自覚はあるものの、お金になっていない状況が気になって、夢中になれていない自分がいました。そんな感情になっている自分が嫌で、価値があると信じていることがお金にならない辛さを感じていました。

この10年間で、価値あることを積み重ねれば、キャッシュポイントに変えていくやり方や、逆算してスタートするやり方を学んできましたが、起業した後は会社を存続させていく上で、お金は必要不可欠で、どうつくるのかに悩みました。苦しい瞬間も多くありましたが、向き合い切れたのはサッカーがあったからです。自分たちが強くなり上に行くことが、理念や経営にも繋がるはずだし、丸山をはじめとするサッカークラブの素敵なメンバーと真剣にボールを蹴ることで、心が豊かになりました。

◆誰とやるか、縁を繋ぐ

__お客様から教わった大事なことは何ですか?

これも振り返れば、たくさんあるのですが、現在のサッカークラブのメインパートナーであるアセットリードさん、それからブラインドサッカーを通じて出会った、文明堂東京の宮崎社長から教わったことを覚えています。それは、「縁を繋いでいく」ことです。

アセットリードさんは資産形成の会社で、私自身がお客さんではあるのですが、起業をしていくような人を応援したいと担当の方が本当に親身に、個人としても企業としてもサポートをし続けてくれています。

そして、文明堂東京の宮崎さんは、東京商工会議所青年部向けにブラサカの研修をやらせてもらい、その後の懇親会で選手と自分に声を掛け続けてくださいました。そこから今も仲良くさせてもらっていて、現在はサッカークラブの法人パートナーとなっていただいています。最近では、JFLホーム開幕戦に向けての集客もして下さいました。

出会う人との縁を大切にしていくこと、クリアソンが上に行くほど、そんなご縁が広がり、循環していく社会になればと考えています。

◆価値あることをする意味や楽しさを知った

__Criacaco創業前にしていた仕事は?

外資系のヘッドハンティングファーム、ロバート・ウォルターズ・ジャパンで働いていました。簡単に言えば人材紹介業で、企業の開拓、候補者の発掘、そのマッチングも一気通貫でやるという業務内容です。

最初は本当に大変でした。新卒で知識もない自分が、企業の開拓や候補者へのコンタクトのための電話をどうすれば取り次いでもらえるかと、試行錯誤しました。自分が入社して2、3年目のときに、リーマンショックが起きて、どの企業も採用が凍結という時期もなかなかきつかったです。それでも会いに行ける人へ情報交換をしに行き、関係性を繋ぎ、走り回って数字を達成していくという感じでした。

完全成果主義と言える会社で、3カ月単位で数字が出て評価され、また0になって3カ月走り続けて、また数字が出て、というような繰り返しです。その結果によって、人の出入りも多い環境でした。ただ、評価が分かりやすく、頑張っていない人はいなかったですね。

就職活動は業界を絞っていた訳ではなく、留学から帰って来た大学4年生の4月から始めました。英語を使いたいという想いがあり、外資系の転職求人サイトにプロフィールを載せていたところ、ロバート・ウォルターズ・ジャパンの方から連絡をいただきました。選考を受け始めましたが、面接で落ちました。

でも、話はここで終わりません。最終面接を担当して下さった後の上司が、サッカーが大好きで、「今回、会社の方はNGだけど、自分の入っているチームに入らないか?」と誘われました。しばらくしてから出た試合の翌日、「働かないか」と電話があり、採用が決まったんです。後で「面接では優しい印象を持ったので、数字が大切な会社ではやっていけないと感じたが、サッカーをする姿を見て、コイツ闘えるなと感じた」と言われました。スライディングをしたり、相手と激しくやり合ったりと、確かに闘っていました。これは本当に驚きで、完全にサッカー採用でした(笑)。

__仕事でのマイルールは?

「目の前の人が幸せになっているか。自分自身に価値があると思えることをやり続けられているか」ということです。

前職に入社した当初、とにかく結果が欲しかったので、求職者と企業をマッチングさせることが全てで、その人が入社してからのフォローよりも次の新しい案件が大事でした。でも、チームの編成が変わり、一緒になった同僚との出会いで、仕事への向き合い方を考えるようになりました。例えば、同僚は不採用となったとき、「なぜダメだったのか」を企業側、求職者側のどちらにも話をちゃんと聞いて、うそをつかずにそれを伝えていました。言いづらいこともメールで済ますのではなく、直接会うか、電話で伝えていました。言われた方は、嫌な気持ちになることもあるかもしれないけど、次に向けての準備ができるし、改善もできる。自分の仕事は正しいフィードバックをしてこそ価値がある、と気づかされました。

この向き合い方に気づいてから、成約数は少し減ったかもしれません。でも、信頼されるコンサルタントには少し近づいたように思います。知り合いが転職したがっているので、と求職者を紹介いただく機会は圧倒的に増えました。数字にこだわることも大切だけど、同僚との出会いで、ちゃんと目の前の人と向き合い、価値あることをする意味や楽しさを知りました。

頑張っている人に機会が平等に与えられる社会へ

__あなたの考えるスポーツの価値を教えて下さい

スポーツは、人の心を動かす瞬間が圧倒的に多いと思っています。悔しい、嫉妬、悲しい、楽しい、嬉しいなど様々な感情を何度も何度も経験できることが、スポーツの価値だと思います。どう感じて、どう向き合っていくのかは人それぞれで、多く経験すればするほど、その度に人を成長させてくれます。

自分の場合はサッカーというスポーツを通じて、その経験をしてきました。多くの人との出会いや支えの中で、その感情をポジティブなものに捉え直し、自分が成長できた感覚があるので、もっともっと世の中にスポーツの価値を広めたいと考えています。

__Criacaoを通じてどんな豊かさを創造したいですか?

頑張りたいと思う人が頑張れる機会がある豊かさを創りたいです。自分が挑戦してみたいと思えることがあり、その環境が理不尽に奪われることなく平等にある。今、自分にはそういうものが無いと思う人は、きっと先人たちが命を懸けて創ってきてくれたものの上にいるのだと思います。それが悪いと言いたいわけでも、自分たちが偉いというわけでもなく、世界一のクラブとなるときには、そんな豊かさが広がっている状態を目指したいです。

クリアソンが、「スポーツの価値を通じて、真の豊かさを創造し続ける存在でありたい」という理念を発信し続け、結果を出し、理念をカタチにできれば、社会は少しずつ変わると信じています。そして、その結果が豊かさだと思います。そのために、私たちは本気で頑張ります。