アカデミーや地域の子どもたちに対して、atama+塾と連携して塾事業をスタートさせたクリアソン新宿。AI教材を活用し効率的に基礎学力を身につけることで、勉強だけでなくサッカーやその他の活動にも時間を使って豊かな未来をつくってほしい。そんな目的を掲げている。

そこで、クリアソンに関わる人たちの中で、学生時代に勉強とサッカー その両方に向き合った人たちにインタビュー。その具体的な方法や、それが今の人生にどう生きているかを聞いていく。

クリアソン新宿、atama plus株式会社と連携してアカデミー生の基礎学力向上と地域貢献を目指した塾を開校

クリアソン新宿は、atama plus株式会社(本社:東京都文京区、代表取締役CEO:稲田 大輔、以下 atama plus)と連携して、AIを活用し個別最適な学びを届ける「進学個別 ata…

Speaker
株式会社Criacao 大口柾文  
1994年6月26日生まれ、愛知県出身。中学、高校と地元である名古屋市内の学校でサッカーに明け暮れる。現役で一橋大学に合格。同大学のア式蹴球部(体育会サッカー部)に所属した。卒業後、トヨタ自動車株式会社に就職。社内研修や出向人事制度、拠点人事などを担当。2022年に株式会社Criacaoにジョイン。現在、クリアソン新宿の営業部部長として、クラブのパートナーセールスの責任者をつとめる。

―中学生の時のことを教えてください。

公立中学校でサッカーをしていました。クリアソンのみなさんの前では、とてもじゃないけど強かったとは言えないですが…名古屋市でベスト4に入るくらいのチームで、県大会にも出場していました。強い方だったとは思います。

ただ、地元の同じ小学校に宮市兄弟(宮市亮 横浜F・マリノス/宮市剛 カマタマーレ讃岐)がいて、彼らを見て「めっちゃうめー!」という感じで、自分がプロになろうみたいなことはイメージしてませんでした。

―勉強はどれくらい頑張っていましたか?

成績は学年で10番くらいで、そこそこ頑張っていたと思います。自分で言うのは難しいですね(笑)。でも、毎日勉強してたわけではなく、テスト前に集中的にやるくらい。塾には行ってませんでした。朝練をして、学校の授業が終わると夕方4時くらいからまた練習。家に帰るのは18時半とかで、基本的にはサッカー漬けでした。

―高校進学のときは、何を重視しましたか?

学力だけで言えば旭丘、明和、菊里といったトップ校を目指すべきだったんですが、少し下がる名東高校に進学しました。公立なんですが、サッカーが強かったんです。まあ、当時はそこまで深く考えてなかったですね。名東は自宅からも近くて、中学生のときに練習試合もさせてもらっていたので、なんとなくカッコいいなと思っていたのかな。

名東を選んだのは、今考えるとバランスを重視した決断ですね。勉強も嫌いではなかったのでちゃんとやりたかった。一方でサッカーも、高いレベルを経験してみたい気持ちがあった。そんな感じでした。

―高校でのサッカーはどうでしたか?

サッカー部の同期が50人いて、みんなめっちゃ上手くてめっちゃ辛かったです(笑)。Aチームのメンバーとはそりが合わなかったし、殻に閉じこもってしまった。今思えば、人間関係をもっと上手くやれたかもしれないなと思います。

名東のサッカー部は「インターハイの前」「インターハイの後」そして「選手権まで」と、引退の時期を選ぶんですが、僕は受験勉強のために「インターハイの前」に引退をしました。結果的に、僕たちが3年生だった2012年はインターハイに出ました。応援にも行きましたよ。

―そして一橋大学を目指すわけですね。

ある日、進路指導の先生が体育館に3年生を集めて「今行けると思っている大学の五つ上を目指せ」と言ったんです。「君たちは、限界の先にチャレンジすることができる」というようなことも。「マジでそうだな」と思ったことをよく覚えています。

当時、僕は志望校に「横浜市立大学」と書いていました。地元から出て関東に行きたいけど、旧帝以上のレベルを目指すほどの自信もなかった。でもその先生の話を聞いて、チャレンジしてみようという気持ちになって「五つ上…とはいえ東大はやりすぎだよな…」ということで、一橋大学を目標にしました。

名東の同級生は多くがMARCHを目指します。早慶は学年で10人いるかいないか。東大、京大、一橋に至っては5年に1人くらいの実績しかなかったので、かなり高い目標でした。

―その中で、実際に合格するわけですが、何が要因だったと思いますか?

サッカー部でメインストリームを歩けなかったことで「違う方向で認められたい」というような気持ちがあったんだと思います。なので勉強にエネルギーを使うようになりました。その挫折が原動力になっていたと思います。「一橋を目指すなんて、絶対無理でしょ」と自分でも思ったので、むしろ「やってやろう」という気持ちになりました。最後は運もあったと思いますが。

あと、本格的に受験勉強を始めたのはサッカー部を引退したあとでしたが、授業を真面目に受けていましたし、教科書や資料集も面白くてよく読んでいました。それが基礎になっていたと思います。

― 一橋大学では再びサッカーを続ける選択をします。

最初は「サッカー部なんか入るか!」と思っていたんですが(笑)。でも、いざ大学でやることを選ぶとき、サークルとか他のスポーツとかは決め手がなかった。ボート部にも勧誘してもらって「どうせやるなら、日本一を目指そう」という言葉にぐっと来て、戸田公園で試乗までしたんですが(笑)。

やっぱり、サッカーは好きなんです。満員のスタジアムがワーっとなる瞬間が特に好きで。グランパスの試合で、ウェズレイが点を取ったこともよく覚えています。

一橋のア式蹴球部の人たちは、みんなが受験という大変な想いを経験していて、面白くて、良いメンバーに巡り会えました。自分のプレーがどうというより、この組織で目標を達成したいと思って頑張っていました。

―サッカーと勉強の両立について、どう考えていますか?

大学受験だけは絶対量が必要なので例外ですが、基本的に勉強のためにサッカーをやめたり、休んだりというのは、僕はナンセンスだと思います。

サッカーをやめたとしても、勉強できる時間は限りがあります。今も仕事をしていて実感することですが、ちゃんと休憩する、他のものに触れることも大事。

勉強も同じです。当時の僕は、サッカーが気持ちの切り替えになっていたんだと思います。身体を動かしてなかったら、新鮮な気持ちで机に向かえなかったと思います。