アカデミーや地域の子どもたちに対して、atama+塾と連携して塾事業をスタートさせたクリアソン新宿。AI教材を活用し効率的に基礎学力を身につけることで、勉強だけでなくサッカーやその他の活動にも時間を使って豊かな未来をつくってほしい。そんな狙いを掲げている。

そこで、クリアソンに関わる人たちの中で、中学・高校時代に勉強とサッカー、その両方に向き合った人たちにインタビューを実施。その具体的な方法や、それが今の人生にどう生きているかを聞いていく。

クリアソン新宿、atama plus株式会社と連携してアカデミー生の基礎学力向上と地域貢献を目指した塾を開校

クリアソン新宿は、atama plus株式会社(本社:東京都文京区、代表取締役CEO:稲田 大輔、以下 atama plus)と連携して、AIを活用し個別最適な学びを届ける「進学個別 ata…

Speaker
Criacao Shinjuku #10 島田譲
1990年11月28日生まれ、茨城県出身。鹿島アントラーズのジュニアユース、ユースで育ち、早稲田大に進学。卒業後当時J2のファジアーノ岡山に加入。プロ1年目からリーグ22試合に出場。その後、長崎、新潟でJリーグ通算329試合に出場。2025年にクリアソン新宿に加入した。

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―中学生の時のことを教えてください。

鹿島アントラーズのジュニアユースでサッカーをしていました。関東では、FC東京とかが浦和レッズとかが強くて、鹿島はそこそこという感じ。活動は週1休みで、それ以外は練習か試合かでした。地元が水戸だったので、学校が終わってすぐに、親に車で送ってもらって鹿島のグランドに向かいました。片道1時間半くらいです。帰ってくると、22時とかでもう寝る時間って感じでした。

―勉強についてはどのように考えていましたか?

みんな目標はプロ。でも、ジュニアユースからユースに上がれるのは3人くらい。僕もサッカー選手になりたかったけど、絶対になれると思っていませんでした。県内のサッカーが強い高校への選択肢を広げるためにも勉強はしていました。親は、好きなことやることを100%応援してくれましたが、それがダメだったときのために「サッカーバカになるな」とは言われていました。

―具体的には、どのように勉強していましたか?

練習の行き帰り、車の中で勉強をすることが多かったです。毎日というわけではなく、テスト前くらいだったかもしれませんが。意識していたのは、タイムマネジメントです。授業中、テストに出そうなところをちゃんと覚えたり、車の中で勉強したり、限られた時間の中で要領よくやれていた方だと思います。サッカーと一緒で勉強でも負けたくないという気持ちがありました。テストもちゃんと点を取りたいと。あとは、親がいつも練習の送り迎えをしてくれていたので、その感謝もあったと思います。

―高校は、鹿島アントラーズのユースで過ごしました。

結果的にユースに上がることができました。寮に入ったんですが、雨でも風でも、自転車で40分かけて学校との間を往復するんです(笑)。学校に行って、練習をして、終わったらやっぱり21:00とか22:00とかでした。ただ、高校でも勉強は頑張っていたと思います。3年生に上がるとき、成績が優秀な人はSクラスに振り分けられるんですが、僕はアントラーズユース史上初めてSクラスに入りました(笑)。通っていた高校はアントラーズと提携していて、3年生のときはキャプテンだったのもあり、学校生活がサッカーに影響を及ぼすのは嫌だったというのもあります。

―よりサッカーのレベルが上がった中で、勉強はどういう位置付けでしたか?

恩師の古賀さん*1は「勉強しろ」とは言わないけど「人間としても一流にならないと、サッカー選手としても一流になれない」という哲学を持っていて、それを体現された方でした。僕も人間力のようなものを大事にしようと思っていました。ただ、人間力と言っても、高校生のときの僕の理解は、オフの日の使い方を考えるとか、ピッチ外のケアや食事などでもサッカーのためにベストを尽くすとか、それくらいのものでした。あとは、自分の中にずっと「両方できた方がかっこいい」というのがありました。サッカーだけやっているより、勉強もできる自分でいたい。クリアソンに来たのも、Jリーガーだったときに地域での活動を頑張っていたのも、根本にはそういう性格があるからかもしれません。

―大学進学のときには、何を考えていましたか?

ユースからはプロに上がれなかったので、早稲田大に行こうと思いました。サッカーが強くて勉強もできること、あとはプロがダメならサッカーの指導者になろうと思っていたので、教員免許を取れることを軸にして選びました。結果的にはスポーツ推薦で入学したんですが、高校のクラスメートと、AOや自己推薦で受験するために、小論文や面接の練習していたのを覚えています。

―サッカー以外からの学びが、サッカーに活きた実感はありますか?

高校生1年生のとき、ボランチからSBにコンバートされたことがありました。SBであろうが、3年生の試合に出してくれている監督に感謝すべきだったんですが、当時は不満で(笑)。そのとき、中村俊輔選手の「察知力」という本を読んだんです。自分で本屋で選びました。「監督が求めていることを考える」「不貞腐れている時間は無駄」ありきたりなんだけど、そこに書かれていたことが刺さって、今の自分の考え方じゃダメだと思えました。本やサッカー以外のことが、自分のサッカーに良い影響を及ぼすという感覚は、そのときの成功体験が大きかっと思います。

―それ以来、本を読むことを続けてこられたわけですね。

僕がサッカー人生で関わってきた人たち、岩政さん*3、古賀さん、ファジアーノのときは、東大からJリーガーになった久木田*4・・・自分のサッカーを、言葉を使って理論立てて話せる人に惹かれる感覚がありました。自分もそうなれたらいいなと。

―学生時代、もっとやっておけば良かったことはありますか?

大学でもっと勉強しておけばよかったと思います。サッカーを一番にして、サッカーとの両立は頑張っていました。先輩に聞いて単位を取りやすい授業に出て、3年で単位を取り終えて、優秀だったとは思うんですが、何も学べてない・・・みたいな。単位を落としてでも、自分が取りたい授業を取る、そんなことも良かったなと。僕はサッカー選手になりたくて、そこからすべてを考えてきました。趣味ないんですよね「趣味サッカー」みたいな(笑)。キャリアの選択肢も、サッカーの指導者としての学校の先生くらいまでしかなかった。もうちょっと、いろんなことに好奇心とかを持って、勉強したりして、選択肢を広げたりということを小さい頃にしておけば良かったなと思います。それがサッカー選手としての幅だったり、いつかサッカー選手をやめたときも、知識を持った状態で新しいキャリアを始めることだったりにつながると思います。

*1 古賀聡
元サッカー選手。指導者として、鹿島アントラーズユース、早稲田大学ア式蹴球部で島田を指導。現在は明治学院大学サッカー部の監督。

*2 『察知力』
横浜F・マリノスやセルティックなどで活躍したサッカー元日本代表の中村俊輔が、サッカーにおいて必要な能力に「察知力」を挙げ、それを磨くためにサッカーノートを活用していたという話が書かれている。幻冬舎新書(2008年)。

*3 岩政大樹
サッカー元日本代表。東京学芸大学に一般受験で合格。卒業後、鹿島アントラーズに加入。Jリーグ3連覇などに貢献した。タイでのプレーを経て、ファジアーノ岡山で島田とプレーをした。引退後、鹿島アントラーズ、コンサドーレ札幌などで監督をつとめた。

*4 久木田紳吾
元サッカー選手。東京大学を卒業後、東大卒初のJリーガーとしてファジアーノ岡山に加入。同クラブで島田とプレーをした。引退後、欧州最大級のソフトウェア企業「SAP」の日本法人に就職した。

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