新加入 水谷友哉 インタビュー「サッカーができなかった6年間で気づけたこと」

新加入 水谷友哉 インタビュー「サッカーができなかった6年間で気づけたこと」

名古屋グランパスU-18出身、阪南大のキャプテンマークを巻き、インカレ準優勝。キャリアで見れば、これまで多くのことを成し遂げてきた、そんな選手のようにも思える。しかし、彼の14年間のサッカー人生のうち、6年間はケガでプレーをしていない。何度も直面する困難に向き合い続けた、水谷友哉を支えたものとは。

「お前を待ってたんだ」

Q. サッカー人生を振り返ってください。
一言で表すと、ケガの多いサッカー人生だったと思います。14年のうち、約6年間はプレーをしていないと思います。足・腰・腕など、多くのケガを経験しました。最初は小学校のときで、腰でしたが、当時はあまり気にせず、ずっとサッカーをしていましたんでしたが、振り返ると、あのときのケガが後々のサッカー人生に影響したと思います。

Q. けがと、どう向き合いましたか?
練習をしたいという想いと身体が動かないという現実のギャップに苦しみました。特に、名古屋グランパスU-18に所属していた高校生のときが苦しかったです。他人に八つ当たりすることはありませんでしたが、当時は僕の考え方が未熟だったので、感情的になり、一人で怒って自分の身体を叩いたり、リハビリ中に叫んだり…。今振り返ると、本当に子どもでしたね。

でも辞めなかったのは、名古屋グランパスU-18 を応援してくださるサポーターをはじめ、チームスタッフ、家族の支えのおかげでした 。特に、サポーターの方々には感謝しかありません。

Q. サポーターの方々とは、どんな交流があったんですか?
毎年、グランパスに所属する選手が高校3年生になると、サポーターの方が応援歌を作ってくれるんです。僕は、高校1・2年とケガをしていて、まだサポーターの前で一度もプレーしたことがありませんでした。だから、応援歌はないんだろうな…と思っていました。

でも、僕の高校3年生のシーズンがスタートしたはじめの試合で、サポーターの方が僕の応援歌を歌ってくれたんです。それを聞いたときは、涙が出そうになりました。

「お前を待ってたんだ その不屈の闘志を 水谷友哉 さぁ立て さぁ起(た)て」

という歌詞で、その試合が終わった夜に、改めて聞いて大号泣しました。

そこからはサポーターの方々とは、応援する/されるという関係ではなく、愛情の通った「ファミリー」だと思うようになりました。共に闘う仲間なので、勝手に「ファミリー」と表現しています(笑)。

僕の勘違いもあるかもしれませんが、サポーターの方がそうして支えてくれているのは、僕を愛してくれているからで、であれば僕もその愛に応えなければいけない…そう思うようになりました。

それからは「自分のプレーしている姿を見せたい」と思うようになり、より一層、練習を頑張るようになりました。これは、大学でもサッカーを続ける一つの理由でした。ちなみに試合前のルーティーンとして、今もその応援歌を聞いています。

サッカーを続けたい

阪南大学のサッカー部に加入してからはどうでしたか?
大学でも、ケガが続きました。でも「ファミリー」と、チームスタッフ、家族、あげればキリがないですが、今まで愛を注いでくださった方々にプレーしている姿を見せたいという思いで、どんな状況にも全力で向き合うことができました。

でも、4年生の春先に大きなケガをしたことは、自分にとって大きな転機になりました。このタイミングで、僕は大学でサッカーを辞め、ビジネスパーソンとして働こうと決めました。このケガをする前には、Jリーグのクラブのキャンプにも参加しましたが、卒業後もサッカーを続ける上で最も重要な時期にプレーができないという状況を考えての決断でした。

そこからは、キャプテンとして、チームに対してできることをしていました。練習を外から客観的に見て、誰の調子が良くて誰の調子が悪いのかなど、気づくことが多くあります。これまでも外から見ることが多かったので、観察眼みたいなものは、いつの間にか自分の強みになっていました。

特に、調子の悪いと思った選手に声をかけました。声をかけるといっても練習後に少し喋るくらいですが、この時間を大切にしていました。僕がケガで葛藤していたときに、様々な人に話をさせてもらって楽になった経験があったので、聞くことに徹して…。

話しはじめるときは笑顔がなくても、最後は笑顔で終わることが多かったので、何か力になれたのではないかと思っています。

©Nozomi FUJITA

Q. サッカーを辞めようと思っていたものの、サッカーを続けようと思ったのは、なぜですか?
4年生のリーグ戦終盤では、順位的に最後の全国大会であるインカレに出場できるかできないかのギリギリの位置にいました。そして、負ければ引退、勝てばインカレに出場できるという大一番の試合を迎えて…。後半アディショナルタイムまで0-1だったんですが、残り時間で2点を取って勝利をおさめ、インカレ出場を決めました。

僕は、学生スタッフとしてベンチにいて泣いてしました。サッカーに感動させられたんです。このときに、自分も、もう一度ピッチに立ちたいなと思いました。

そこから快進撃が続き、最終的にインカレで準優勝という結果を残すことができました。この過程で「サッカーを続けたい」という想いが、確信へと変わりました。今、辞めれば、もう一生本気でサッカーをすることはないだろうと思うと。

ファミリーの愛を感じた

Q. どのタイミングで、クリアソンを知りましたか?
チームを探しはじめたときに、クリアソンを知りました。4年生の12月のときです。出会ったというか、クリアソンがJFL昇格を決め、その情報を偶然 Twitterで知りました。

Q. クリアソンに加入する経緯を教えてください。
「新宿という街にサッカークラブがあるんだ」と気になって、調べはじめました。そして阪南大学サッカー部のGKコーチに「クリアソンって知っていますか?」と聞くと「もちろん」という反応だったんです。さらにそのコーチが、中学生のときに井筒さん(2019年〜2021年在籍/現:株式会社Criacao)を指導していたと言うので…

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