新加入 上田康太インタビュー「サッカーをやり切るために」

新加入 上田康太インタビュー「サッカーをやり切るために」

J1で203試合 J2で194試合。Jリーグ通算397試合出場という輝かしい記録を持つ上田康太は、なぜクリアソン新宿に来たのか。それはサッカーを「やり切るため」だったのかもしれない。ジュビロ磐田ユースでの同期 岡本達也との再会、ビジネスへの不安とそれを上回るワクワク。クリアソンをすでに自らの組織のような主体性で活動する彼の中で、静かに燃えているものは何なのか。

やり切れなかったこと

Q. 「クリアソン」を知ったきっかけを何でしたか?

ジュビロ磐田ユースの同期の(岡本)達也が、Jリーガーをやめて「これからどうするか」というときに連絡をもらいました。8年くらい前だと思います。

そのときは「ビジネス界には、めちゃくちゃ面白い人たちがいるぞ!」と目を輝かせて話していたことを覚えていて、それがのちにクリアソンの人たちだったことを知りました。

岡本 達也(左)・上田 康太(右)
©︎JUBILO IWATA

「どんな人たちなんだろう」というのは漠然と気にはなっていました。でも、僕にとってビジネス界は未知の世界で、当時はまだ自分とは関係ないことでした。

それから、クリアソンは会社として大きくなって、サッカー的にもカテゴリーを上げていきます。僕は達也を追っていたので、前から知っていましたが、みんなが注目しはじめたなと思って見ていました。

Q.昨シーズンのことを教えてください。

昨シーズン、僕は栃木SCでサッカーをやり切ることができませんでした。まだサッカーを本気でやりたいという想いを達也に話をしたとき「クリアソンは、素晴らしいメンバーが本気で上を目指している」と教えてくれました。

©TOCHIGI SC

Q. 栃木SCでやり切れなかったのは「試合に出ること」のような結果の部分でしょうか?それ以外の部分でしょうか?

結果というよりは、姿勢のようなところだと思います。栃木で自分の良さが出せませんでした。自分に矢印を向けたつもりでしたが、それでもうまくいかず…。試合に出られていない選手はみんな思っているはずですが「なんで使ってくれないんだよ」とモヤモヤしていました。

でも、もっと監督とコミュニケーションを取るなど、まだできることもあったなという。それが、やり切れなかったという感覚です。そういうのに気づいたのは、シーズンが終わってからですね。

©TOCHIGI SC

栃木では、すべてを出し切って引退してもいいくらいの覚悟で移籍をしました。でも、やり切れなかった。結果が良い悪いではなく、自分のやるべきことをやったかが大事だと思います。こうした姿勢でサッカーを続けていけば、いつかはやり切ったと思えるのではないかと思います。

必要とされているクラブでプレーすることは、とても幸せなこと

Q. 簡単に、ご自身のサッカーキャリアを振り返っていただけますか?

(2005年に)ジュビロ磐田でユースからトップに上がって、当時は黄金世代の人が徐々に抜けた時期だったので、自分の力で勝ち取ったというよりも、ただラッキーでした。思えば、すごい悩んだりしたわけではなかったなと。

そこから、大宮に移籍しました。大宮では、守備だったり球際だったり、自分が苦手にしている部分を指摘されることが多くて、そこが大事なこともわかっていたんですが「なんで俺の良いところを見てくれないんだよ」と…。

あまりいいシーズンを過ごせませんでした。ジュビロでうまくいってしまったから、そうなったんです。今思うと未熟なんですけど。

そこから、期限付き移籍でファジアーノ岡山に移ります。岡山では自分の良いところが評価されて、信頼もしてくれて。逆に、それで苦手なところにもトライできるようになった。攻撃も守備も両方やるということはそれまでも大事だとは分かっていたんですが、本当に思えたのはこのころです。

Q. そのあと、磐田に戻るのもすごいキャリアです。

名波(浩/現:松本山雅監督)さんが呼んでくれたんです。ジュビロにまた戻れたのであれば、大宮での苦しい時期もいい経験だったのかなと思えました。

(2015年に)J2からJ1に上がるときにはキャプテンもやらせてもらいました。ただ、2年目、3年目は少しずつしか試合に出られなくなり、3年でチームを離れることになります。

Q. 再びジュビロを去るときはどんな感じだったんですか?

ジュビロでやれることはやったなという感じでした。

その後、またファジアーノ岡山に移籍します。僕のキャリアの中で、一番活躍できているのはこのときかもしれません。期限付き移籍のときのイメージを持ってくれていたんだと思います。このとき、必要とされているクラブでプレーすることはとても幸せなことだと思いました。

Q. 極論、このときに活躍して、引退という選択肢もありましたか?

岡山で引退したいという気持ちにはなっていました。街も良いし、岡山の選手・スタッフも好きでした。ただ、41試合出たけど、契約満了でアウトになりました。

今までは契約が途切れることはなかったんですが、昨年の栃木も含めると2年連続でクビになって、サッカーへの考え方が変わったかもしれません。「ただプロとしてサッカーができれば幸せなのか?」と。

Q. そして、クリアソンに出会うわけですね

そういうとき、クリアソンに出会って、選手としての評価ももらったけど、人として評価して、必要としてくれたことが、今までとは違ってうれしかったです。

Q. クリアソンに加入した決め手は何でしたか? 他のクラブに行く選択肢もあったと思います。

待てばあったかもしれないけれど、やはり時期が進んでくると、自分のことをあんまり知らないけど、編成上の補強という意味合いが強くなってしまいます。そうなるよりは、ジュビロに戻ったとき、ファジアーノに戻ったときのように、本当に必要とされているところでやりたいと思いました。

あとは…僕は、サッカーで「これを成し遂げた」みたいな感覚がないんです。去年、クリアソンのJFL入れ替え戦の光景をYouTubeLIVEで見ていたんですが、選手として単純にうらやましいなと思いました。

選手、監督、スタッフ、それだけじゃなくて、運営、ファンも含めて、本物の、心からの一体感がありました。Jリーガーのときも近いものはあったけど、それ以上のものがそこにはありました。

僕、サッカーで嬉し泣きしたことないんですけど、あの瞬間はみんなうれし泣きしてましたよね。そういう経験をしたい、クリアソンならできるんじゃないかと思いました。

やりたいことを見つけられる気がしている

Q. クリアソンでサッカー以外の、ビジネスにチャレンジすることは、どう考えていますか?

最初は、サッカーを100%でやりたいという気持ちがあったので、仕事とサッカーを両立することに正直不安を感じていました。でも、達也が「ビジネスに挑戦することも、これからの康太の人生に役立つんじゃないか」とも言ってくれました。

これまでも大事だと思いながらも、連絡とか遅いし、人付き合いに関しても腰が重くて…(笑)、そういう自分のダメなところも分かりつつも、向き合ってきませんでした。

サッカーを理由にして、そうしたことから逃げていたんです。苦手なことはパワーを使うし、サッカーに影響してしまうんじゃないかとか理由をつけて。そうして、徐々にトライするのが怖くなっていきました。

でも、それも自分次第かなと思うようになりました。達也とか丸山さんに誘ってもらって、このタイミングでそういうことにトライするチャンスをもらったと思いました。自分の考えとかを整理するうちに、こうした挑戦が今の自分には必要だと思いました。

新体制発表会では、新加入選手代表挨拶をつとめた

仕事が不安というのは丸山さんはじめ、クリアソンのすべての人に伝えたけど、それを分かりながらも僕のことを必要としてくれました。こうした人たちに出会って、今は不安とワクワクがあるんですけど、ワクワクが勝つんじゃないかという気がしました。即決はできなかったけど、そうやって決めていきました。

Q. 仕事は、まだ始まっていないと思うんですけど、やりたいことなどはありますか?

胸を張って「これがやりたい」と言えるものは、正直ないです。でも、色々な事業を見させてもらって、会社の中にも外にも素敵な人たちがいて、とても楽しいです。不安ですけど、一方で自分がやりたいことを見つけられそうな気がしています。

Q. クリアソンでどんなことをしたいですか?

サッカーで、期待してくれているところはまずは大きいと思うので、チームに良い影響を与えられるように、自分のできることをなんでも取り組んでいきたいと思います。仕事の面では、不安なところもあるけど、トライしていきます。

ホームの運営のミーティングに参加させてもらったんですけど、自分が想像していたよりも、もっとたくさんの仕事もあって…。社員の人数的にもギリギリで、でも、そんなところを見せてもらって、サッカーに向き合う姿勢が変わりました。

直接的ではなくても、そうした経験を通じてサッカーが向上する、そういう向上もあると思います。運営もお金集めることもそうですけど、そうした部分を見せてもらって大変さを知ると、不安とか言っていられないなと。

Q. クリアソンでやり切ったと言えそうですか? そのためには何が必要ですか?

やっぱり、結果を出したいのはもちろんです。J3に昇格し、より高いレベルにクリアソンを引き上げたい。ただ、本当にやり切ったかどうかは結果によるものではないと思います。

姿勢のような部分では、僕は今、積極的にチームでコミュニケーション取っていますが、ここもまだまだできると感じています。これまでより選手として、人として、間違いなく成長できたと感じることができれば、いつかは満足できるかもしれないですね。

Q. 最後に。岡本に決断を伝えたのは、年末に一緒に山登りに行ったときだと聞きました。

クリアソンには、ある時期までに決めて返事をすることになっていました。達也には、どうせなら直接伝えようと思いました。伝えたときはかなり激し目の抱擁をもらいました(笑)。

実は、達也の結婚式のときには僕が友人代表のスピーチを読ませてもらったのですが…その結婚式で達也が参列者に一枚一枚メッセージカードを配っていて、僕にくれたカードには「もう一回、一緒にプレーするのが夢です」と書いてくれていたんです。

それが叶ったことになりますね。

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