サガン鳥栖 小林 祐三選手 インタビュー 前編 「Jリーガー “パンゾー”は、卒業して『らしく生きていく』」

サガン鳥栖 小林 祐三選手 インタビュー 前編 「Jリーガー “パンゾー”は、卒業して『らしく生きていく』」

2021シーズンから クリアソン新宿の仲間になることが発表された、サガン鳥栖(J1)の小林 祐三 選手。17年間のプロサッカー人生に終止符を打ち、関東リーグに移籍、そして株式会社 Criacaoで社員として働く。その決断の裏には何があったのか。引退、クリアソン新宿への移籍を語った前編と、柏レイソル、横浜F・マリノス、サガン鳥栖での思い出、新宿という街への決意を語った後編の、二編にまたがるロングインタビュー。

Jリーグとサッカーは、イコールではない

Q. プロサッカー選手の引退を決断された理由は?
いつ決断したかは覚えてないんですが…。夏ごろは、まだ Jリーガーを続けようとしている自分がいて、葛藤があって、正直苦しかったです。

決断してからは、視界がクリアになった感じがします。自分のサッカーの行き先が定まったので。もう Jリーグの中でやれること、やりたいことがなくなりました。いわゆる「やり切った感」があって、それは危機感にも似た感覚だったので、それに気づいてしまっている以上、自分の気持ちに蓋をしたくないと思いました。

Q. 17年間、Jリーガーを続けてきて、なぜ「今」なのか?
なんだかんだ言って、試合に出られなかったからだと思います。僕は、サッカーは11人の中だけの話ではなく、試合に出られない人たちにも役割があると思っています。

一方で、Jリーガーにとっての価値の提供は「試合に出ることしかない」ということにも苦しさを感じていました。Jリーガーとしてサッカーをやる以上は、そこからどうしても目を背けられなかった。

Q. 試合に出るということで言えば、 J2、J3という選択肢もあります
Jリーガーとしてのサッカーの追求には、ある種の制限があります。例えば、Jリーグという世界からしか、物事を捉えられなくなったりすることです。なので、僕はその制限のある中では、やれることは「もうない」と思えるところまでやりました。

しかし、僕のサッカーの可能性、その追求というのは、近年も広がり続けているんですよ。サッカーそのもの、プレーそのものはまだやり切っていない。

「Jリーグがどんなものか」は、だいたい分かった。けれど「サッカーってこんなものか」とはまだ思えていない、まだ分からないことがたくさんあります。Jリーグとサッカーは、イコールではないんです。

新しい価値観に触れるきっかけを作ってくれた

Q. クリアソンとの最初の出会いは?
僕が、静岡学園高校で3年生のときの国体(国民体育大会)は「わかふじ国体」と言って、静岡開催だったこともあり、静岡県代表は相当に力を入れていました。そのチームに、当時ジュビロ磐田ユースに所属していた、1歳下の岡本達也(Criacao Shinjuku #50・株式会社Criacao 社員)がいて。何の話をしたか覚えてないけど、めちゃくちゃいい奴だったことは印象に残っていました(笑)。

お互いがプロになってからは、たまに連絡を取るくらいでした。ただ、彼が 2014年シーズンで Jリーグを離れ、株式会社Criacaoのインターンになり、その初仕事である「Criacao Troca(=クリアソントロッカ・株式会社Criacao アスリート事業部の前身)」というイベントに誘ってくれたんです。

アスリートとビジネスパーソンが混じり合う勉強会でしたが、それがすごく面白かったんです。僕自身が引き出される感覚があって、新しい価値観に触れるきっかけを作ってくれた。そこから、株式会社Criacaoとは、様々な場で一緒に活動するようになりました。

ちょうどプロ10年目で、頭打ちの感覚があった中で、例えば体育会大学生の自己分析を手伝ったりしていると、僕自身を見つめ直したり、見落としていたことに気づいたりすることができました。

Q. 10年目というと 横浜F・マリノス時代ですが、当時の成功を見ると、ご自身を見つめ直すは必要がなかったのでは
それには、僕のバックボーンが関係しています。僕の両親は、部活動含め、運動経験はゼロでした。兄の影響で僕もサッカーをはじめましたが、みんな音楽が好きで、アマチュアだけど楽器に触れる、そんな家に生まれました。

なぜか僕は、サッカーの実力が認められていって、結局、高卒でプロになりましたが「自分みたいな人間がなっていいのか」と、漠然と不安で、自信も覚悟もありませんでした。憧れの職業はずっとサッカー選手だったけど、プロになってみると、サッカー「のみ」に向かっていく、多くの選手を目の当たりにして、自分は違うなと感じました。

だから、普通にやっていても勝てないと思ったので「ひたすら練習を頑張る」みたいなことではなく「自分に何ができるか」を考え、自分に向き合うことをしてきました。サッカーを頭で解釈して、足元に落とす。周りからは、変わった奴だと思われていたでしょう。

しかし、慣れないながらも結果が出てくると、染まっちゃいけないと思いながら、知らず知らずのうちに、しっかりと染まっていくわけです。シーズンが始まると、身体をつくって、試合をやって…生活も人生も、Jリーガーの枠のようなものに「はまって」いきます。昇降格、移籍もありましたが、それもサッカー界の中での出来事で、同じサイクルが続いていく。サッカーも「こ上手く」なって、そこまで向き合わなくてもできてしまうようになる。

そうすると、いつの間にか「自分は何者なのか?」という問いが薄れていくように感じました。大事にしていたはずの「あり方」とか「なぜサッカーをやっているか」とか、昔の方が考えていたはずなのに…。実績は順調に積み上がっていたけれど、それではダメだと思った。

大の大人がノーギャラで向かっていく

Q. クリアソンとの5年間で、何を感じたのか
実はこれまで、株式会社Criacaoのたくさんの事業に関わってきました。でも、やっぱり、2018年のオフシーズンに、クリアソン新宿の練習に参加し、サッカー選手として関わったときのことをよく覚えています。

そのときは、来シーズンを鳥栖でやることが決まっている状態で、コンディション調整のために参加したんですが、僕はその練習をものすごく頑張ってしまった。これっていいなと思いました。

選手たちが、自分・組織の目的のために、言ってしまえば「大の大人がノーギャラで向かっていく感じ」。クリアソン新宿の選手たちを見て「恥ずかしい」ではないけれど、自分もサッカー界も、もっと、あるべき姿というものがあるのかもしれない…と、そう感じました。

Jリーガーも、サッカーが好きだから追求して、プロのステージまできて、対価をもらうことになった、こういう順番だったわけです。しかし、どの職業でもそうですが、お金のパワーは大きいので、いつの間にか、それなしでは頑張れなくなる。これは仕方のないことです。

一方で、お客さんの目的、サッカーに期待しているのは、例えば投資みたいにお金が増えることではなく、選手のサッカーへの想いのようなものじゃないですか。だから、それを表現する選手の目的がお金だと、どこかで限界が来てしまうんじゃないかなとも思うんです。上手く説明するのは難しいのですが。

プロスポーツを否定しているわけではないんですけど。ただ、色々な考えがあっていいはずで、僕のように思うタイプがいてもOKにしてくださいと。

Q. クリアソン新宿が Jリーグ、プロを目指すことは矛盾しますか?
クリアソン新宿が Jリーグに入ったとき、そのとき僕がピッチに立っているか分かりませんが、上手くいけば「クリアソン新宿は金払いがいいよ」というクラブになっているかもしれない(笑)。

ただ、そうだとしても「サッカー」と「サラリー」の順番を逆にしないことです。Jリーグに入るために、プロクラブになるために何か大事なものを変えていったら、他のものと混じってしまうかもしれません。

しかし、あくまでもクリアソン新宿のサッカーのやり方・あり方で、ディビジョンが上がる、プロクラブになっていくだけのことです。どこまでいっても、クラブが掲げる理念に、選手がどう反応するのかがまず大事です。

もし、僕がクラブを作ったら、きっとクリアソンと同じ言葉を使う

Q. 最終的に、クリアソン新宿に決断した理由は?
クリアソンの、サッカー界に対する現状認識、こうしていきたいという目標、クリアソンは「豊かさ」という言い方をしますが、そういうものが僕の持っているものと近かった。

例え話ですけど、もし僕がクラブを作るとして、そのクラブが人や地域が関わっていくときに、きっとクリアソンと同じ言葉を使う。だから、次にプレーするんだったら、ここがいいと思いました。

クラブの形式、掲げている言葉は、似ているチームがあるかもしれません。ただ、それを行動に起こし、僕自身にダイレクトに訴えかけ、伝えてくれたのが、このクラブだった。自分が行き詰まっていたとき、クリアソンに出会ったことで、明確に自分自身が変わった。

ご縁の話にもなるけれど、偶然にしては低い確率で出会いました。運命を感じて…とかではないんですが、無数に選択肢がある中で、自分の一番近くにあって、一緒に活動してきたのがクリアソンだった、ということです。

Q. クリアソンに期待していることは何ですか?
個人事業主っぽいんですが、これまでも、組織に何かを期待するという意識がなく「自分がそこで何を成せるか」だけを考えてきました。もちろん「こういう環境で、こういうことができるんだろうな」という想像はしますけど、でも、プロの現場が嫌で、ユートピアにいくわけではないので。それ相応の嫌なこともあるかもしれないけど、自分自身で責任を持つ準備はできています。

ただ、クリアソンには東大卒で総務省から転職してきた人もいれば、僕みたいに高卒でずっとJリーガーだった人もいればと、様々な人がいます。それぞれの価値観を認め合いながら、共感し、一つになって前に進んでいくという経験は、これまで味わってなかったので、楽しみです。

こうして、自分らしい決断ができたのは、どこでも言ったことがないんですが、10歳と7歳離れた兄二人の存在が大きかった。

プロにいく直前、家族の前で兄が言ったんです。「家族もお前の友達も、誰も成功は望んでいない」と。「成功することではなく、お前らしくサッカー選手という職業を楽しんでくれ」と。

なんていう言葉を使ったか正確には覚えてないんですけど、とにかく「らしく生きてこい」と言ってくれたんです。

その言葉をかけてくれて、本当にありがたかった。17年間、お守りみたいに大事にしてきました。


 

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