Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.12 伊藤 克尚「チームに何を残せるか」

Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.12 伊藤 克尚「チームに何を残せるか」

Enrich the world. を掲げ「誰もが豊かさの体現者となれる社会」を目指す Criacao Shinjuku。その中でも、株式会社Criacaoではなく、それぞれの企業・大学に所属しながらプレーする選手たちにスポットを当てた連続企画。出身はJリーグからサークルまで、現所属は大手企業から大学生まで、それぞれの立場の過去・現在・そして未来へと続くサッカー人生をひもとく。執筆を担当するのは、鹿屋体育大学サッカー部出身、現在はインターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う 深澤 大乃進。選手たちの、昔と変わらない姿・変わっていく姿の両面に、第三者視点から迫る。


「チームに何を残せるか」伊藤 克尚

サンフレッチェ広島F.Cユース、明治大学を経てクリアソン新宿に加入。今年2年目をむかえ、チームでのさらなる活躍が期待される伊藤選手。各年代で得た学びや成長を赤裸々に話してくれた。

▼ 伊藤選手のプロフィール
https://criacao.co.jp/soccerclub/member/katsuhisa_ito/

チームの中心選手として

広島市で育った伊藤。地元の少年団でサッカーを始め、スピードを生かしたプレーで広島県の選抜チームに選ばれる実力を有していた。中学校に進学するタイミングでサンフレッチェ広島F.Cのジュニアユースチームのセレクションに合格し、加入を決める。

そこではキャプテンを務めチームづくりに邁進した。しかし、チームをまとめることで苦戦。伊藤は何事も一人で抱え込んでしまう性格だったため、チームメイトと協力してチームづくりができなかった。先頭に立ちチームを引っ張ることに苦手意識が芽生え、高校進学後のサンフレッチェ広島F.Cのユースチームでは、副キャプテンを務めた。

当時を振り返り、「チームでは常にスタメンで、リーダーを任されることが多かったので、自然とチームのために行動できていた」「自分の性格を考えたとき、キャプテンとして先頭で引っ張るよりも、副キャプテンとしてキャプテンを支え、必要な場面に応じて行動をしていく役割が自分にあっていた」と話した。


今回は伊藤選手のチーム内での立ち振る舞い、特にオーナーシップについて書きたいと思う。僕が伊藤選手との対話を通して魅力を感じた点は、立場に関わらず、チームのために自分ができることを模索していく姿勢だ。これは恐らく中学生、高校生時代に形成されたものだろう。

ジュニアユースでキャプテンとして苦戦したにも関わらず、ユースでも副キャプテンに立場を変え、チームへの貢献方法を考え続けていたからだ。次の章では、大学時代の苦悩や葛藤を通じて、このオーナーシップが磨かれていく伊藤選手を感じられるはずだ。

初めての「試合に出られない時間」

「プロサッカー選手になるために、個人の能力を最大限高める」というテーマを持ち、大学サッカー界屈指の強豪であり、少数精鋭のスタイルで有名な明治大学へ進学。しかし、四年間での公式戦の出場はたったの2試合だった。

1年生の頃から、試合に出場できるチャンスが巡ってきたが、直前の怪我が続いた。それを繰り返すうちに、チーム内における自分の序列が下がっていった。紅白戦ではスタメン組ではなく、サブ組。練習試合では、Aチームではなく、Bチーム。自分ではない別の選手がチャンスを掴んでいく場面を目の当たりにし「なんで自分じゃないんだろう?」と考えてしまうことも多かった。

大学3年生になると、少数精鋭の組織のため、同期の大半がAチームで活躍していた。当時Bチームにいた同級生は伊藤ともう一人だけ。その状況で「自分はチームに対して何か貢献できているのだろうか」と悩んだ。気持ちや思考が整理できないネガティブな状態が続き、プレーにも影響が出てしまった。

何とかしたいという想いで、サッカーの外にも学びを求めた。Bチームの同期とも語り合った。そして「最終的な評価は他人。自分で覆すことはできないから、自分が納得できることにフォーカスしよう」と腹を決めた。その後は「卒業するまでにチームに何を残せるか」と前向きに考えられるようになった。

何より、ひとりの先輩の存在が大きかったと話す。1学年上だったが、同じポジションで、怪我で復帰と離脱を繰り返しており、伊藤と境遇が似ていた。その先輩の弱音を吐かず、何事も常に全力で取り組む姿に影響を受けた。試合や練習だけでなく、自分が公式戦に出られないときも、スタンドでの応援に手を抜くことは決してなかったという。

そして、自分もそんな人間を目指し「試合に出られないなら、サッカーに向き合う姿勢で、チームに良い影響を与えたい」と思い、行動するようになった。練習を全力で行うだけでなく、自主練習も休むことはなかった。

4年生になった伊藤は、気づけばチーム内で試合に出られない後輩たちから慕われる存在となっていた。卒業前のお疲れ様会で、1年生のメンバーから「試合に出られない、キツい中でも頑張る、先輩の姿を見て頑張れました』と泣きながら声をかけてくれた。「今までやってきたことが間違っていなかったと実感した」と嬉しそうに話した。


自分の思い通りに物事が進まないとき、その人らしさが現れる。伊藤選手の興味深かった点は、試合に出られない現状を受け止めきれず、悩んでいた場面だった。

明治大学サッカー部に進学するほどの実力を持っていた伊藤選手も、一人の人間だなと感じた。ただ、伊藤選手の魅力は、そこから再び、チーム内で自分の価値を発揮したこと。試合に出場できない現状から目を背け、何となく過ごすこともできたはずだ。

しかし、自分がチームにいる意味、チーム内で発揮できる価値を問い続け、行動を起こした。試合に出られずにもがく、サッカー選手たちのお手本とも言えるだろう。

次は、クリアソン新宿で

プロになれないだろうという現実を受け止め、大学4年生時は就活も並行して行った。そして、プロになれなかったら、社会人でサッカーはやらないと決めていた。

しかし、学生最後の大会である全日本大学サッカー選手権大会の初戦でまさかの敗退。2回戦のメンバー入りが決まっていた伊藤は、不完全燃焼のまま引退となった。もう目標はなくなっていたが、プロに内定した練習を続ける同期たちにまじってグランドで汗を流した。そのときに「やっぱり自分はサッカーが好きなんだな」と感じ、身体が動くうちは続けようとチームを探し始めた。

時代は、ひたむきな同期と切磋琢磨して成長でききた経験があった伊藤は、社会人でも同じ価値観でサッカーができるチームを探していた。そんなとき、サンフレッチェ広島F.Cユースの先輩である上村 佳祐(2018年〜2019年在籍)のFacebookの投稿を見てクリアソン新宿を知る。その投稿には上村のゴールをチーム全員で喜ぶ映像が収められており、その空気感には伊藤の心を揺さぶるようなものがあった。

加入した年は社会人生活の1年目。仕事に追われ、チームとサッカーに向き合うための時間が作れなかった。2年目を迎えた現在は、仕事のやり方を見直し、平日の練習に参加できるよう努め、試合で活躍するためのコンディションづくりに精を出している。

また、チームと向き合う時間が増える中で、キャプテンや副キャプテンに頼りすぎている現状に危機感を持ち始めた。「関東リーグを勝ち抜くためには、中心選手が抜けた場合でも安定したチームを目指す必要がある」という伊藤の考えからであった。

全体への声かけや細かなマネジメント、コミュニケーションはもっと増やしていくことを自身の今後の目標としつつ「自分が試合に出る出ないに限らず、何か積み重なっていくものをチームに残したい」と意気込みを語った。自身の経験を糧に、チームへ貢献できる方法を模索していく、そんな想いを強く感じさせた。


同じ社会人二年目として、慣れない仕事に追われ自分の生活リズムを作れない悩みはとても共感できる。そんな大変なタイミングでも、自分のサッカーを頑張ろうとする伊藤選手の姿勢に思わず、凄みを感じてしまった。

しかし、それだけではない。伊藤選手は「クリアソン新宿に対して、自分にできることはないか」も模索している。これは大学時代の経験から導き出された、伊藤選手の強みだ。チームの状況や問題を自分ごととして捉え、何ができるか問う姿勢が自然とあらわれている伊藤選手は魅力的だった。

これからは選手としての真価を発揮するだけでなく、チームに対して良い影響を与える存在として活躍してくれるのではないだろうか。伊藤選手の今後から、目が離せない。

 

 

written by
深澤 大乃進(ふかさわ ひろのしん)
学生時代は選手兼広報として、SNS運用や集客を担当。現在は、インターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う。会社の同僚が所属していたことをきっかけに、クリアソン新宿を知る。クリアソン新宿のメンバーと話していく中で、チームの方向性や活動する選手たちに魅力を感じ、取材を決意。

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