Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.11 伊勢 太一「進化するリーダーシップ」

Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.11 伊勢 太一「進化するリーダーシップ」

Enrich the world. を掲げ「誰もが豊かさの体現者となれる社会」を目指す Criacao Shinjukuは、JFL昇格のために2020シーズンを戦う。その中でも、株式会社Criacaoで働きながら、プレーだけでなくビジネス面でも、チームの掲げる理想の体現に挑み続ける選手たちのサッカー人生をひもとく。執筆を担当するのは、2020年4月に株式会社Criacaoに入社した浦上。新型コロナウイルスの影響もあり、ほとんどの選手にまだ会えておらず、ピッチでの活躍も見られていない僕の客観的な視点で、選手であり、同僚でもあるメンバーのCriacao Shinjukuにかける想いを聞いてみた。


「進化するリーダーシップ」伊勢 太一
クリアソン新宿の中でも、少なくなりつつあるサークル出身の選手として。三度のキャプテン経験を経て、今もチームの中心として輝きを放つ、#11 伊勢 太一 選手の人生を聞いた。

▼ 伊勢選手のプロフィール
https://criacao.co.jp/soccerclub/member/ise_taichi/

転機

小学生の時に始めたサッカー。中学生では、学年50人、全体で150人という圧倒的競争環境。毎日の練習は、家に帰ることも困難になるくらい厳しいものだった。周囲のレベルの高さにも戸惑いを覚えたが、負けず嫌いな性格だった伊勢は、誰よりも早くグラウンドに行き、誰よりも遅くまで残る、そんながむしゃらな努力で信頼を獲得していく。

その甲斐もあって、2年生になると、3年生のチームの試合に出られるまで実力をつけた。FC東京や東京ヴェルディのジュニアユースにも勝利し「自分はプロになれるかも」と、思っていた。3年生になると、Jクラブのユースからも、スカウトが来るようになった

順調なサッカー人生。そんな中、伊勢に転機が訪れる。3年生の夏、入院。「復帰はおろか、今後、スポーツをすることは困難です」医師からはそう告げられた。

進路の話は、すべてが白紙に帰った。入院期間のおよそ1カ月「サッカー以外の自分の価値って、何だろう?」と、とにかく考えさせられたという。「勉強に本腰を入れる?いや、やっぱりサッカーがしたい?」伊勢は問われ続けた。

それでも、病気が奇跡的に回復し、退院後はサッカーにも復帰できるようになった。強豪の高校から声をかけてもらうが、再発のリスクなどを考え、通っていた中高一貫校にそのまま残り、クラブチームでプレーすることを選択。横河武蔵野FC(現・東京武蔵野シティ)ユースに加入することになる。

高校生活も苦しい時間が長かった。卒業するまでに、病気が何度も再発したのだ。病気から復帰、Bチームでプレー、結果を残してAチームに昇格、しかし病気が再発し離脱、そんなサイクルを繰り返した。伊勢は「プロになる」という夢を諦めたという。

しかし、サッカーへの情熱がなくなったわけではなかった。個人の夢を諦めたことで「このチームで、勝ちたい」そんな想いが強くなっていった。病気で離脱を繰り返しても貪欲にプレーし、ピッチ外でもチームに貢献した。

そんな姿勢がメンバー、監督から評価され「キャプテンをやってほしい」と言われ就任。キャプテンは初めての経験だった。そして迎えた新人戦。キャプテンとしてどうチームに働きかけるか、わからないまま、東京ヴェルディユースに大敗を喫した。監督からは「ここ20年間で最弱の世代」とまで言われる。

手痛い敗戦を契機に、キャプテンとして、チームの勝利に対して、一層向き合うようになった。「Jクラブのユースチームに、街クラブの自分たちが勝つためには?」。

個の力では勝てない時、やはり伊勢のテーマは「チーム」だった。上級生でミーティングを繰り返して方針を決める、練習前後にチームとして意識することを共有する、下級生と積極的にご飯に行く、グラウンドにあえて残り会話の機会を増やす。高校の部活でもなく、Jクラブのユースでもなく、街クラブとしての強みを生かしたチーム作りだった。

むかえた夏の大会は関東5位、全国16位。個々の技術では圧倒的に劣っていたが、対等以上に戦うことができるサッカーは「やっぱり面白い」心からそう思った。冬の大会でも、目標である全国大会への出場を果たし、キャプテンとしての役目をまっとうした。

サークルというチーム

勉強にも手を抜かず、立教大学へと進学した。大学で選んだのは心理学部。リーダーシップについて興味を持っていた。そして、サッカー部と悩んだ末に「立教サッカー愛好会」というサークルに入会する。監督がいない中でのチーム作りに興味を持ってのことだった。しかし、1年生のころは「勝利」を一番の目標にしていない人たちのことが理解できず、サークルには打ち込んでいなかった。

それでも、Bチームのキャプテンが泣きながら、チームへの気持ちを話してくれたことがあった。「自分が出られない試合に、これだけの想いで後輩を巻き込もうとしているんだ」と、もらい泣きをするくらいに衝撃を受けた。その年、立教サッカー愛好会は、サークル日本一になる。応援は強制参加ではなかったが、東京から遠く離れた大阪での大会に、100人近くが応援に駆けつけ、みんなが喜んでいた。しかし、伊勢は3年生のように喜べていない自分に気づく。「ただ、サッカーをやっていただけだから」理由は明白だった。

2年生になり、チーム作りに関わることを決めた。しかし、道のりは想像以上にハードだった。サークルでは「日本一になりたい」「ただ、サッカーを楽しみたい」と、サッカーへの関わり方に幅がある。苦しみながらも頑張っている幹部の姿を見ながら、自分なりに、どういうキャプテンをつとめればいいか、理想像を固めていった。

そして伊勢は、高校の時とはまったく異なるリーダーシップを選択していく。自分に課したのは「基準作り」。あえて距離を取り、統一感のないチームに基準を作る、それが、伊勢の出した結論だった。

3年目、リーダーになった伊勢はメンバーとご飯に行ったり、プライベートで遊んだりすることは、1回もなかったという。最後の年、夏の大会で結果は初戦敗退。強豪サークルだっただけに、動揺が走った。きっと、メンバーから「このままで大丈夫かよ」と思われていた、そう話す。ただ、伊勢はユースでの経験から「この敗戦を生かして、チームの成長角度を上げられないか?」と、すでに次の大会を見据えていた。

改めて、チームメンバーと話しあいを重ねていく。幹部、3年生の協力、巻き込めていなかったマネジャーもひとつになり、次の大会で全国3位、そして最後の大会では日本一になった。1年目とは違い、心の底から喜ぶことができた。周りのみんなが涙を流していた。それを見た瞬間、伊勢も涙を流した。

三度目のキャプテン、そしてビジネス

就活が終わった時、サークルの先輩であり、クリアソン新宿代表の丸山代表から「クリアソンでサッカーしてみない?」と誘われる。話を聞くと「立教サッカー愛好会と似ている」と思った。4年生の秋に入団。当時のメンバーは、ほぼサークル出身だった。

次シーズン、社会人1年目、新しい環境と格闘しながらも、Procriar(現・Criacao Shinjuku Procriar)のキャプテンを任される。社会人1年目が、10歳以上も歳の離れた選手を選考する、今までにない難しい仕事だった。キャプテンであっても、周りのメンバーに支えてもらうことが必要不可欠だった。全員に、チームを作りに参加してもらうために、積極的に働きかけた。みんなから意見をもらって、チームを作っていく。ここでも伊勢は、新たなキャプテン像を選択したのだ。結果は、東京都社会人サッカーリーグ2部3位。Procriarの歴史上最高成績だった。

翌年、Criacao Shinjukuに所属を移し、臨んだリーグ戦。当時GMだった岡本達也(#50)やキャプテンだった金 裕士(現・Criacao Shinjuku Procriar)が、苦しんでいたのを見ていた。みんなでそれを支えようとした。それがあったからこそ、実現した昇格に、皆で涙した。

社会人でも、こんな感情を抱ける瞬間がある。それが伊勢にとっては衝撃だった。元から株式会社クリアソンヘの入社の打診はもらっていたが、この時の感動がその最後の後押しとなり、その後翌年4月に株式会社クリアソンに入社した。

伊勢は「キャリア事業部」という部署に所属している。スポーツの価値を広めていけるような人材を増やすという想いの元、体育会・運動系サークルの学生を、企業に紹介するというビジネスモデル。サークル時代、Procriarのキャプテン時代に培った、自分と異なる価値観や考え方を持つ人と高いレベルでコミュニケーションをとる力を用い、学生や企業の人事担当者の両方と、深い関係性を築くことを意識しているという。

また、伊勢は社員として、クラブの運営にもかかわっている。どういう環境で練習を行えばより質の高い練習ができるのか、多様なメンバーがいる中でどんなスケジュール・グラウンド手配にするのが最適なのか、自身もプレーしながらその環境づくりにも取り組んでいる。

通常であれば、選手ではなくスタッフが担うであろうその仕事。しかし伊勢は、選手である自分がやるから、意味があるという。自分自身が運営面に携わることで、普段どれだけ多くの人に支えられているかを肌で実感することができる。そして自分が、それをほかの選手に伝えることで、選手全体としてもよりリアルに「支え」を感じることができるのだという。

そして、伊勢曰く、サッカーとビジネスは似ている。サッカーでは、FWとして点を取らないといけないというポジション。そしてビジネスでは、売り上げを求められるポジション。その構造は似ていて、自分の思いを大切にしながら、ちゃんと成果にコミットする。それがいずれの組織でも求められている、ということだそうだ。「結果」を念頭に動く思考。これは、サッカーから仕事、仕事からサッカーで双方に刺激しあっている。

2025年、世界一になったときに自分がどうなっているか?この質問に対して「まだイメージができていない」と、正直に答えてくれた。2025年、自分がプレーしているかどうかわからない、それでも、どんな立場であっても、チームのために全力で取り組んでいる人間でありたい、と話した。「リーダーシップ」を発揮し続けたい、それが伊勢の想いだ。

株式会社Criacaoでは、採用のプロフェッショナルになりたいという。企業に、新卒の学生を紹介するだけではなく、採用担当者が困っていると感じたときに、多方面からサポートできる人材を目指している。ここにも、伊勢のリーダーシップを感じることができる。

横河武蔵野ユース、立教サッカー愛好会、Procriar。三度のキャプテン経験のたびに、チームに合わせて新しいリーダー像を実践してきた伊勢。これから先、サッカーも、ビジネスも、彼のリーダシップは、組織の未来とともに進化し続ける。

 

 


written by
浦上嵩玄(うらがみたかひろ)
2020年4月に株式会社Criacaoに入社。中高は勉強一筋。大学はラクロスに打ち込んでいたが、サッカーはほぼ未経験。そんな自分が、なぜサッカークラブ Criacao Shinjukuと、その選手たちに魅力を感じるのか。チームやみんなの想いをもっともっと深く知りたく、取材を決意。

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