Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.10 西山 大輝「自分の人生、わがままに」

Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.10 西山 大輝「自分の人生、わがままに」

Enrich the world. を掲げ「誰もが豊かさの体現者となれる社会」を目指す Criacao Shinjukuは、JFL昇格のために2020シーズンを戦う。その中でも、株式会社Criacaoではなく、それぞれの企業・大学に所属しながらプレーする選手たちにスポットを当てた連続企画。出身はJリーグからサークルまで、現所属は大手企業から大学生まで、それぞれの立場の過去・現在・そして未来へと続くサッカー人生をひもとく。執筆を担当するのは、鹿屋体育大学サッカー部出身、現在はインターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う 深澤 大乃進。選手たちの、昔と変わらない姿・変わっていく姿の両面に、第三者視点から迫る。


「自分の人生、わがままに」西山 大輝
大卒ルーキーの西山選手を取材。社会人になりたての初々しさを残しながらも、静岡学園高校や拓殖大学で得た学び、これからの抱負について、自分の言葉で丁寧に話してくれた。

▼ 西山選手のプロフィール
https://criacao.co.jp/soccerclub/member/taiki-nishiyama/

静岡学園での学び

プロサッカー選手を目指し、地元神奈川県のサッカークラブでプレーしていた西山は、静岡県の名門校である静岡学園高校の門を叩くことになった。サッカーに打ち込むだけでなく、勉強も頑張れる環境を求めていた西山にとって格好の場だった。

しかし、私立高校で寮生活ということが家計の負担になると西山は考え、進学することに消極的になった。その背中を押したのは父。父親自身は家庭の事情で私立への進学を諦めた過去があった。どんなに家計が厳しくても息子には同じ思いをさせたくないという理由から、西山の静岡学園高校進学を後押しした。

入学後は、競技レベルの高さだけでなく、先輩たちの人間性の高さに圧倒された。西山が印象に残っているエピソードがある。それは寮での出来事だった。通常、トイレ掃除は一年生の仕事であったのだが、三年生が「トイレが汚れているから」と気付いて自分で掃除をしていたのだ。「俺が掃除した」と自慢するわけでも、「おい、一年生掃除しろ」と指示するわけでもなく、あたかも当然のように、自分から動く先輩の行動に驚いた。まずは行動で示すタイプの先輩たちの背中を追いかけるうちに、西山の人間性は形成されていった。当時を振り返り、「指示をしたり、高圧的にやらせたりするのではなく、まずは自分の行動で示すことが大切だと学んだ」と話した。

また、サッカー面では自分の主張が強く、ドリブルで打開する選手が多い環境の中で、ボランチとしての才能が磨かれた。周囲の選手との差を感じながらも、ポジションを勝ち取るために、自分の特徴の生かし方を模索した。答えは、目立たないかもしれないが、周囲の歯車としてプレーすること。

中学時代は無名選手だったにも関わらず、二年時から試合に出場する機会が増え、最終的にはレギュラーとして定着した。「自分はゴールキーパーとの一対一の場面でも、パスを出してお膳立てをしたいと思う性格。誰かのために犠牲になることをいとわない性格だったからこそ、技術のある選手の潤滑油として、自分がどう立ち回るかを考え続けることができた」と話した。


静岡学園高校に入学し、サッカー部の文化に触れ、変化していく中でも、特に西山選手の「誰かのために、自分が犠牲となることをいとわない」という性格に興味を持った。

西山選手は、きっかけとなった映画は『プライベートライアン(1998)』『アルマゲドン(1998)』『LIMIT OF LOVE 海猿(2006)』の三作品。いずれの映画も、登場人物が進んで誰かのために犠牲になるシーンが入っている。西山選手はこれらのシーンに感動し、魅力を感じ、自分の性格を決定づけたと話してくれた。そして、その性格は思考や思想に大きく影響を与えている。

静岡学園高校サッカー部の文化に適応し、学びながらも、選手としての存在を示した部分には、この西山選手らしい性格が表れている。

リーダーシップ、行動と発信

静岡学園高校卒業後、拓殖大学へ進学。入部当初、西山は「なんでこの大学に入ったのだろう」と思った。一人一人のサッカーへ向き合う姿勢や意識にばらつきがあることに、違和感を覚えたからだった。

実力を評価され、一年生ながら西山は開幕からスタメンで出場を続けたが、5連敗。どうしても勝てない状況に陥っていたが「入部したからには、強いチームにしたい」という使命感が、西山を動かす原動力になっていた。「一年生だから四年生だからというのは関係なく、チームのために自分から発信する」という意識を持ち、周囲を巻き込んでいった。時には、感情に任せて想いを伝える場面もあったという。サッカーに対するモチベーションが違う選手との関係性では苦労したが、次第に相手にあわせたコミュニケーションが取れるようになる。

最終学年時には、この姿勢が評価されキャプテンに選出。「自分がチームを変えたい」というある種わがままな使命感が、西山のリーダーシップを育て、キャプテンを務めるまでになった。

同期と話すだけでなく、下級生のメンバーや、監督に対しても積極的にコミュニケーションをとり、とにかく発信することを大事にした。チームでは、トップチームで活躍できる選手ばかりではない。しかし、トップチームを目指す気持ちも持ちながら「下のチームでキャプテンをして、チームを良くしていきたい」と思い、行動するメンバーがあらわれるなど、西山の熱意は確実にチームに届いていた。

「目標達成はできなかったけれど、一年生の時に比べれば、組織としてはサッカー部を前に進めることができたと感じている」と話した。


高校では「行動」で示すことを学んだ西山選手だった。大学では、さらに「発信」を身に付け、チームに働きかけていた部分が興味深かった。

静岡学園高校のように、サッカーに対する意識が揃っている組織においては、自分が行動するだけで、周囲もそれに倣ってついてくる。しかし、モチベーションが異なるメンバーに対しては、行動と発信が並走していなければ、組織を動かすことができないのでは?と西山選手は気づき、発信することをやめなかったのだろう。

そして、こうした行動の原動力は、西山選手のわがままな使命感。チームのあるべき姿を考えた上で「自分がチームをこうしたい」という欲が西山選手を支え続けたのだろう。

ビジネスとサッカー、わがままでも両方を

大学サッカー終了後、西山にプロ契約のオファーはなかった。高校時代の同期がJリーグのクラブに内定している姿を見て「サッカーを続けたい、プロになりたい」と焦りはあったが、一方で、西山の中である一つの目標が生まれた。それは、サッカーとビジネスの両方を本気で頑張ること。社会人になると、周りは仕事だけを全力でやる。それに加えて、サッカーも全力でやることはわがままかもしれないけど、自分の可能性が広がるのではないかと考えた。

この考えを持って、サッカークラブを探していた時に、クリアソン新宿と出会った。練習に参加してみると、そこには社会人生活を送りながら、サッカーに全力で打ち込む選手の姿があった。仕事とサッカー。どちらかだけを頑張るのでなく、両方に情熱を捧げるメンバーが、自分の目指す社会人像と重なった。

最後に、これからの意気込みを聞いた。「高校で学んだこと、大学で学んだことを武器に、今度は社会人という制限された時間の中でも、チームのためになる存在を目指す」と力強く、勢いのある口調で話した。

サッカー面では謙虚に「玄人の目に止まるような、チームの黒子的な存在でいいです」と、少し恥ずかしげだった。


サッカーでは、チームの黒子的な存在になることをいとわない西山選手が、自分の人生における意思決定の場面では、わがままに、自分の意見を貫いている姿が非常に興味深かった。

西山選手が自分の人生においてわがままとも言える強い意思を持つようになったのは、家族の影響が大きかったのではないだろうか。高校進学時、父親が西山選手の背中を押したエピソードをはじめ、自分の意思を尊重してくれる家族がいたことで「自分はどういう人生を歩みたいのか」「次のステージで何をしたいのか」をしっかり考え、伝えられるようになった。

謙虚で、チームのためにという姿勢を持ちながらも、自分の人生は自分で決めるという強い意思を持った、西山選手のこれからの社会人生活に期待している。

 

 

written by
深澤 大乃進(ふかさわ ひろのしん)
学生時代は選手兼広報として、SNS運用や集客を担当。現在は、インターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う。会社の同僚が所属していたことをきっかけに、クリアソン新宿を知る。クリアソン新宿のメンバーと話していく中で、チームの方向性や活動する選手たちに魅力を感じ、取材を決意。

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