Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.8 前田智子 「喜びと葛藤、探究し続ける サッカーへの関わりかた」

Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.8 前田智子 「喜びと葛藤、探究し続ける サッカーへの関わりかた」

Enrich the world. を掲げ「誰もが豊かさの体現者となれる社会」を目指す Criacao Shinjukuは、JFL昇格のために2020シーズンを戦う。その中でも、株式会社Criacaoではなく、それぞれの企業・大学に所属しながらプレーする選手たちにスポットを当てた連続企画。出身はJユースからサークルまで、現所属は大手企業から大学生まで、それぞれの立場の過去・現在・そして未来へと続くサッカー人生をひもとく。執筆を担当するのは、鹿屋体育大学サッカー部出身、現在はインターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う 深澤 大乃進。選手たちの、昔と変わらない姿・変わっていく姿の両面に、第三者視点から迫る。


「喜びと葛藤、探究し続ける サッカーへの関わりかた」前田智子
今回はスタッフ編。トレーナーとして活躍する前田さんを取材。トレーナーとして、選手とともに奮闘する姿に迫った。

震災とスポーツ

福島県出身の前田。好奇心旺盛で、何でもやってみたがる欲張りな性格だった。幼少期から様々な習い事を経験。中学時代はバレエ、ピアノ、英語の演劇クラブなど、複数の活動を行っていた。

卒なく、波風立てないように過ごし、誰かに怒られることは少なかったが、恩師ともいえる英語の演劇クラブの先生との出会いが、生き方に変化をもたらす。その先生は、小さなことから大きなことまで、何かある度に前田と話す場を設け、前田の本音を引き出すために何時間も待ち続けた。優等生タイプの前田は、その場しのぎの、取り繕った言葉で乗り切ろうとするも、先生は許さなかった。

真剣に「自分がどう思っているのか」を考え伝える、初めての経験だった。「他人がどう思っているかも大事だが、自分がどう思っているかも大事」と、中学生ながら気づくことができたと話し、前田は何ごとにも自分の意思を、きちんと持つようになった。

高校では、サッカー部の活動に専念。マネージャーとして選手のサポートに徹する毎日を過ごしていたが、人生に大きな影響をもたらしたのが、高校二年生の時に発生した東日本大震災だった。福島県では、福島第一原発事故による放射性物質の拡散が深刻で、何ヶ月も家の中で過ごす状態が続いた。外に出られるようになったあとも、線量計をはめる日々。

そんな暗い空気が漂っている中、元気をもたらしてくれたのが、香川真司選手、岡崎慎司選手、内田篤人選手など、海外で活躍するサッカー選手たちだった。被災地に向け発せられたメッセージに、前田は感動し、元気づけられ、明るい生活が送れるようになったという。

震災の経験は、サッカー選手のメッセージに救われる

「自分が経験したような、暗い日々を過ごしている人を、元気にできる人になりたい」いつしか、そう考えるようになった。それは、サッカーに関わる仕事をしたいという決意に変わり、大学選びも、スポーツの勉強ができることが軸となった。

トレーナーとしての葛藤

早稲田大学スポーツ科学部へ進学。同時に、トレーナーとしての役職を希望し、早稲田大学ア式蹴球部の門を叩いた。高校時代は、マネージャーとして選手のサポートをしていたが、「より直接的に与えられる影響が多い仕事がやりたい」と考えての選択だった。入部後は、関わった選手の活躍に対して自分の貢献を重ね合わせ、喜びを感じることができる、そんなトレーナーという仕事を楽しめていた。

高い基準の中で、トレーナーの仕事に全力を尽くした

ただ、手応えを感じ始めていた大学三年生の頃、チームの三分の一にも達する選手が怪我人という異常事態が続いた。選手が負傷するたびに救急車に同乗し、長期離脱の診察結果を聞き落ち込む選手の姿を目の前で見ていた。

怪我をさせないというトレーナーの役割を果たせず、責任を感じることが増えていった。チームの現状を変えられない自分の実力にも、やるせなさすら感じていた。

ずっと、自分の意見を発言することを我慢していた。しかし、ある時に抑えきれなくなり、全体MTGの場で自分の想いをぶつけた。自分がどうこうではなく、選手を想っての、勇気ある発言だった。しかし、チームの方針は変わらず、それどころかトレーナーの立場を越えた行動とされ、一部スタッフとの軋轢を生んでしまった。そこで生じた関係性のズレに、その後の前田は苦しむことになる。

同学年の仲間に支えられ、四年間の大学サッカー生活をまっとうした前田だったが、忘れがたい、辛い経験も残った。「誰かに代弁してもらうなど、伝え方を工夫すれば良かった」と反省を口にするも、トップダウンになりがちな、スポーツの組織に疑問を感じるようになった。


サッカーに携わるだけであれば、マネージャーでもよかったはず。しかし、より自分の影響度を高められるポジションを求め、トレーナーに転身した前田さんの行動は興味深かった。純粋に誰かのために頑張るだけではなく、自分自身が満足感を感じられることを大切にしたのだろう。

大学三年生での経験は、僕には想像できないほど、前田さんにとって辛いものだった。チームへの関わり方を大事にしていたからこそ、自分の仕事の範囲でチームの怪我人が増えてしまったことだけでなく、自分の意思を隠すことも、伝えてうまくいかなかったことも、すべてがもどかしかったに違いない。

自分の意思とやりがい

大学時代の経験から、スポーツの世界にとどまらずに様々な価値観を持った人たちと仕事をしたいと考え、就職活動に励んだ。そこで、お世話になったクリアソン新宿代表の丸山に誘われる形で、クリアソン新宿の活動に参加した。

卒業後はスポーツに関わらないと決めており、就職浪人の期間だけの活動のつもりだったが、結果、前田はクリアソン新宿でトレーナーを続けることになる。トレーナーの仕事が楽しいからだけではなく「クリアソン新宿の人を好きになったから」と話した。クリアソン新宿に「全員のことを尊重する文化」を感じ、一人ひとりが生き生きしている、チームの雰囲気に惹かれていった。

学生時代の経験もあって、前田は「トレーナーはあくまで裏側にいる人、自分の意思を出してはいけない」と考えていた。しかし、クリアソン新宿では、シーズン全体の練習プランの作成には、トレーナーやマネージャーも参加する。選手からも日々アドバイスを求められ、監督からは選手と接する中での気づきを尋ねられ、それはすぐに現場で活用された。自分のイメージとは違うスポーツの組織だったことが、今もクリアソン新宿で活動する、一番の理由かもしれない。

選手からも相談されるような距離感を大事にしている

一方で、チームが、東京都社会人サッカーリーグ一部から、カテゴリーを昇格していく中で「私は資格を持っているわけでもなく、平日も仕事で来られない。それでも関東サッカーリーグ一部に所属するクラブでトレーナーの役割をさせてもらえることは、ラッキーだと感じている」とも話した。チームのレベルが上がっていく中で、どこかにあるトレーナーとしてのコンプレックス、そんな気持ちがあるのかもしれない。「ラッキー」という言葉には、その葛藤を感じた。

それでも、今シーズンの意気込みを聞くと「選手のプロ意識を高めることに貢献したい」と力強く話した。社会人サッカーは良くも悪くも自分次第。チームがサポートを施す部分もあるが、JFLを目指すためには「個人個人が、怪我をする感覚に耳を澄まし、食事などに気を配れるか」が大事になってくると、考え、意思を持って様々な取り組みを行っている。チームの環境が変わっていく中で、クリアソン新宿の選手が活躍するために、奮闘する前田に注目だ。

クリアソン新宿にとって、必要不可欠な存在へ

クリアソン新宿との出会いは、ある種 運命的だったのではないだろうか。自分の意思を持って取り組む前田さんにとって、クリアソン新宿の「多様な価値観を受け入れ、他者を尊重する文化」は、相性の良い環境だった。だから、一度はスポーツから離れるという決断をしたにも関わらず、トレーナーとして今もチームに残っているのではないだろうか。

それでも、クリアソン新宿を続けるか続けないかを判断をする、シーズン後のタイミングでは毎年のように悩み葛藤しているという。そして、続けている今も「スタッフをやらせてもらえている」と口にする。チームのことが大好きで、トレーナーの仕事に誇りを持っている、だからこそ年々変わっていくチームの中で複雑な感情を抱いているのだろう。

だが、最後にもらった意気込みからも分かる通り、その中で自分自身の役割を模索し、影響度を高めていこうとする姿勢は、選手に勝るとも劣らない。周囲は大きな期待を寄せているはずだ。

 

 

written by
深澤 大乃進(ふかさわ ひろのしん)
学生時代は選手兼広報として、SNS運用や集客を担当。現在は、インターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う。会社の同僚が所属していたことをきっかけに、クリアソン新宿を知る。クリアソン新宿のメンバーと話していく中で、チームの方向性や活動する選手たちに魅力を感じ、取材を決意。

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