Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.3 村下 将梧「常に自分と向き合う、そして、人のために闘う今」

Criacao Player’s Story −On the Road− Vol.3 村下 将梧「常に自分と向き合う、そして、人のために闘う今」

Enrich the world. を掲げ「誰もが豊かさの体現者となれる社会」を目指す Criacao Shinjukuは、JFL昇格のために2020シーズンを戦う。その中でも、株式会社Criacaoではなく、それぞれの企業・大学に所属しながらプレーする選手たちにスポットを当てた連続企画。出身はJユースからサークルまで、現所属は大手企業から大学生まで、それぞれの立場の過去・現在・そして未来へと続くサッカー人生をひもとく。執筆を担当するのは、鹿屋体育大学サッカー部出身、現在はインターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う 深澤 大乃進。選手たちの、昔と変わらない姿・変わっていく姿の両面に、第三者視点から迫る。


「常に自分と向き合う、そして、人のために闘う今」村下 将梧
誰からも学びを得て、自分自身を磨き続ける男。身長187cm、恵まれた体格でクリアソン新宿のゴールを守る村下選手を取材。学生時代の挫折を乗り越え、クリアソン新宿で頑張ろうとする、そんな前向きな姿勢が非常に魅力的だった。誰よりも純粋で、誰よりも負けず嫌いな村下選手の過去と今に迫った。

兄と始めたサッカー

地元クラブの高槻プルセイラで、兄と一緒にサッカーを始めた。小学三年生になるタイミングで、京都サンガF.C.のジュニアチームに加入、ここでも兄と一緒のチームだった。当時のチームは、全選手をフィールドプレイヤーとして育てる方針だったが、村下は当時から身長が高かったこともあって、公式戦では、多くの試合でゴールキーパーを任されていた。村下は「自分はチームでは一番下手」「サッカーの世界で生き残るためには、身長の高さを生かせるゴールキーパーしかない」と小学生ながら考えていた。

中学生になる時、村下を待っていたのは、京都サンガF.C.のジュニアユースチームへの昇格ができないという現実。兄は既に昇格していたこともあって、悔しさのあまり「サッカーなんかやってられっか」と自暴自棄になった。そのため中学年代はクラブチームを探さずに、進学先となった枚方市の公立中学校のサッカー部へ入部した。村下はこの中学校生活の3年間を「空白の3年」と言った。人生で一番サッカーに打ち込まなかった時期だと。中学校の方針で部活動の時間が限られ、練習時間はたったの15分、練習内容はミニゲームのみだった。

サッカーに打ち込めない中学校時代だったが、恵まれた身体能力と、チームが運よく好成績を残したこともあり、複数の高校から推薦入学の誘いを受けた。その中から、学費が免除となった東海大仰星高校へ進学。しかし、入学後は厳しい練習に圧倒される。吐きそうになるほどきついのは当たり前、時には本当に吐くまで練習することもあり「中学は上手くいっていたから、高校でもなんとなくいけるっしょ」という軽い気持ちがへし折られた。村下は、練習に行くことが嫌で嫌でしかたがなかった。

それでもなぜサッカーを続けられたのかと、疑問に感じて質問をしてみると、村下は「兄と、そしてひとつ学年が上の高校の先輩の影響が大きかった」と教えてくれた。兄のポジションもゴールキーパー。京都サンガF.C.のユースチームで活躍。順調にエリート街道を歩む兄に負けたくないという気持ちが強かった。そして高校の先輩も、同じポジションのゴールキーパーで、身長が小さくてもスタメンで試合に出場していた。チームでの練習は夕方だけだったが、彼は、朝は自主練習、昼休みは筋力トレーニング、夜は最後まで残ってまた自主練習、という生活を毎日繰り返していた。

正直、最初は「この先輩はなんでこんなに頑張ってるのだろう」と思っていた。しかし、それをやり続ける姿勢を見て「ここまで努力しないと試合に出れないのか」と感じ、高校一年生の夏頃から、先輩の行動を見習うようになった。先輩と同じように、朝早くから夜遅くまで練習に励んだ。「先輩からレギュラーを奪ってみたい、そんな強い想いがあったから頑張れた」と語った。そして、厳しい3年間を過ごすなかで、少しずつプロサッカー選手になりたいと思うようになっていった。


高校時代のエピソードが、村下選手の負けず嫌いな性格が最も表れていると感じた。それだけでなく、思考と行動がリンクしている部分に、村下選手の向上心と継続力が見えた。僕なら、きつい練習に満足して、さらに自分を追い込むようなことはできないかもしれない。悔しいと思いつつも頑張れない、悔しいと声に出すも行動がともなわない、みなさんにもきっとそんな瞬間があるだろう。それでも「誰かに負けたくない、自分が試合に出る」という一心で努力し続けられることは、村下選手の強みであると僕は感じた。

誰よりも自分のために努力したが、味わった挫折

プロになりたいという想いは強かったが、東海大仰星高校からプロになる事例が少なかったため、大学進学を決意。関西学院大学サッカー部の練習に参加し、その場で成山監督(現Criacao Shinjuku監督)から合格の言葉をもらった。大学二年生までは、先輩のゴールキーパーであった一森純(現ガンバ大阪)の背中を追いかける日々を過ごす。高校時代よりもさらに厳しい練習だったが、レギュラーを取りたいという一心で自主練習にも励んだ。

関西学院大学体育会サッカー部時代の村下
Photo: yasuyo KANIE

当時を振り返り「精神的にも肉体的にも辛い時期だったが、サッカーのスキル面でレベルアップした感覚があった」と話した。この地道な努力が成果として出始めたのが大学三年生。村下はスタメンに定着。守護神として臨んだ全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)では準優勝という結果を残した。大会後は、Jリーグ特別指定選手制度によって、セレッソ大阪の練習や試合に帯同するようになり、プロへの道が開けたようにみえた。

しかし、ここで村下は慢心してしまう。関西学院大学サッカー部での練習態度が少しずつ悪くなっていった。どこか浮かれている雰囲気で、練習をすることもあった。しだいにベンチに座る回数が多くなり、大学最後の大会では後輩に守護神の座を奪われてしまう。チームは二度の日本一などを含む、四つのタイトルを獲得したが、村下には悔しさが残る一年となった。「普通の大学生が、いきなり注目の集まる環境へ身を移したことで勘違いをした」と悔しそうに話した。

スタメンを取られてからは、自分がプロになる姿を想像できなくなる一方で、プロになれないという現実に向き合うこともできなかった。「どうやったらスタメンになれるのかを考え、一人黙々と自主練習に励んでいたが、試合に出られない時は『負けろ、ミスしろ』と思いながらベンチに座っていた」と話し、続けて「自分の外にベクトルが向いていると、プレーもうまくいかない。そうして普段の何気ないプレーで失敗し、悪循環に陥った。プロになりたいという焦りもあって、精神的にも追い詰めらた」と赤裸々に語った。当時を振り返り、「自分自身の行動を変えていたら、結果は変わったのかもしれない」「チームにどう貢献するかという視点があれば、試合でのパフォーマンスや進路は変わっていたのかもしれない」と話した。このように考えるようになったきっかけは、自分のことだけでなく、チームのために頑張るクリアソン新宿のメンバーとの出会いだった。

大学では、シーソーゲームのレギュラー争いを繰り広げた
Photo: yasuyo KANIE

正直なところ、コメントすることが非常に難しい。サッカー選手である以上、「自分が試合に出たい、活躍したい」と思うあまり、他人の成功に嫉妬してしまう時もあると僕は考える。そんな状況でも高校時代と同じように、自分と向き合い、誰よりも努力した村下の愚直な姿勢は本物だと感じた。本文には記載していないが、大学時代も最後までグラウンドに残って自主練習をし、グラウンドを出てからは坂道ダッシュや筋トレを行っていたと教えてくれた。当時を振り返り悔しそうに話す村下選手を見て僕も悔しさを感じた。

辛かった社会人生活 新しい出会い

大学四年生の冬、プロへの道を諦め、就職活動を開始。始めるタイミングは遅かったが、就職浪人は考えていなかったため、紹介されたスポーツ用品店を経営する会社へ就職した。サッカーから離れた生活となり、言葉にできないモヤモヤした感情が生まれた。就職して一年が経ち、関西学院大学サッカー部の同期、池田優真と連絡を取っている時に「また一緒にサッカーしたいね」とサッカーの話題で盛り上がった。この池田の存在が、村下を変えるきっかけとなる。

池田を介して、学生時代から面識のあったクリアソン新宿代表の丸山と再会した。再会後は、就職後の悩みを正直に打ち明けた。丸山は週二回以上も村下のために時間をつくり、キャリアの面談や自己分析を徹底的にサポートした。この期間に村下は自分自身の理解を深めた。なかでも印象的だったことは、丸山が村下の発言に対して、どこまでも「なんでそう思うの?」と問い続ける地獄の自己分析。当時は「これ、答えあるのか?」と感じながらも、頭が震えそうなくらい自分について考えた。また、丸山は株式会社Criacaoの竹田や中村との面談の機会をつくり村下の転職のサポートを行った。当時を振り返り「株式会社Criacaoの人たちが自分のことを思って、真摯に向き合ってくれたことが嬉しかった」と話した。

そうして、株式会社Criacaoとの関わりが増えるなかで、サッカークラブであるクリアソン新宿の練習にも参加するようになる。当時は、今ほど強いチームではなかったが、岡本達也(#50)を中心として、一生懸命に上を目指す姿に魅力を感じ加入を決めた。村下は人見知りな性格で、自分からは話しかけないタイプ。そんな村下をクリアソン新宿のメンバーは放っておかず、積極的にコミュニケーションを取った。グラウンドに行けば、誰かしらと話ができて嬉しかったと振り返る。「普段は隠しているけど、実はクリアソン新宿のメンバーが好きなんですよね」と話した。

もうひとつ村下が変わったきっかけがある。それは、明るい性格で、どんな事でもポジティブに捉えることができる奥様との結婚。村下は自分を追い込み、物事をネガティブに考えることが多かったが、結婚生活が始まると、自然とポジティブな思考に変化していった。平日は奥様との生活、週末はクリアソンメンバーに囲まれ好きなサッカーをする。毎日が充実した生活になり、村下の明るい性格が出てくるようになった。

2019シーズンは、リーグ優勝に大きく貢献した

チームのために 新たな自分で闘う2020

加入当初は、純粋にサッカーを楽しむ村下であったが「2025年、世界一のFootball Clubへ。」という目標に向かって真摯に取り組む丸山や岡本、自分のためだけに頑張るのではなく、チームのために頑張るクリアソン新宿のチームメイトと接することで、考え方や行動が変化していく。

学生時代は「自分が上手くなるためには」「自分が活躍するためには」という思考が強かった村下だが、今は「自分もクリアソン新宿の一員として、チームのために頑張りたい」と話す。そして、大学時代に自分が悩んだ経験を生かして「悩んでいる人や、辛そうな人に寄り添った行動を心掛けている」と、そんなことも教えてくれた。

最後に「岩舘直(#26)の加入により、さらにレギュラー争いが熾烈になったのではないか?」と少し意地悪な質問をした。しかし、その質問の答えにも「チームのために」という村下の姿勢が表れていた。村下は「もし自分が試合に出ていなくても、クリアソン新宿の勝利という目標のために行動したい」と言い、続けて「もちろん、リーグが始まるまでは『スタメンで出たい』『誰にも負けない』という一心で頑張るが、リーグが始まってからは、誰が出ようと最大限にフォローし合う関係を、ゴールキーパー陣でつくりたい」と熱く語った。とはいえ最後には「まあ、絶対負けないですけどね」と話し、誰よりも負けず嫌いな村下らしさも感じさせた。2020年は自分と向き合い、チームのために闘う村下から目が離せないシーズンとなりそうだ。

村下の新しい挑戦に期待が膨らむ

村下選手の口から、自然と「チームのため、クリアソン新宿のため」という言葉が出てくるのは、株式会社Criacaoやクリアソン新宿との出会いが自分の人生に変化をもたらしたことを、彼自身が感じているからなのだろう。「クリアソン新宿のメンバーを信頼しているし、クリアソン新宿のメンバーのためならゴールを守れる」「このメンバーで試合に勝ちたい」と楽しそうな表情で話していたことが印象的で、本当にクリアソン新宿のことが好きなんだろうなと感じた。今年の抱負からは、過去の自分のようにはならず、チームを信頼して、チームとして上を目指す、そんな決意を感じた。大学時代の挫折を受け入れながら、周囲の様々な人から影響を受け、努力することをやめず、さらなる成長を求める村下選手の向上心の高さに圧倒され、心から応援したくなった。

 

written by
深澤 大乃進(ふかさわ ひろのしん)
学生時代は選手兼広報として、SNS運用や集客を担当。現在は、インターネット広告代理店勤務でクリエイティブ業務を行う。会社の同僚が所属していたことをきっかけに、クリアソン新宿を知る。クリアソン新宿のメンバーと話していく中で、チームの方向性や活動する選手たちに魅力を感じ、取材を決意。

 

 

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