ソニー、総務省、住友商事。なぜ 大きな組織を離れ、新宿のサッカークラブで挑戦する人生を選んだのか?決意のきっかけ、そして “仕事” の価値観について

ソニー、総務省、住友商事。なぜ 大きな組織を離れ、新宿のサッカークラブで挑戦する人生を選んだのか?決意のきっかけ、そして “仕事” の価値観について

ソニー、総務省、住友商事。誰もが憧れるファーストキャリアを選びながらも、20代で決別。当時、十数人にも満たなかった株式会社Criacao、そして、新宿のサッカークラブ・クリアソン新宿に挑戦の場を移した。その決断の背景には何があったのか?前職を通して培った 仕事の価値観と、3人の人生に迫った。

 

原田亮
1987年、神奈川県横浜市生まれ。慶應義塾大学理工学部情報工学科/理工学部体育会サッカー部、慶應義塾大学大学院を経て、ソニー株式会社に就職。調達業務、事業立ち上げ、マーケティングに従事。2017年10月に株式会社Criacao入社。(株)Criacaoの経営企画室長、Criacao Shinjuku 運営統括部門長/事業統括部門長/選手(#9)。

 

卓間萌水
1993年、鹿児島県鹿児島市生まれ。東京大学法学部を卒業後、総務省に入省。岩手県庁への出向、消防防災関係の業務、地方自治制度の担当業務を経験し、2019年10月に株式会社Criacao。Criacao Shinjuku 地域共創室長。新宿区との包括連携協定、伊勢丹新宿店とのイベント、アルタビジョンでのプロモーション放映などを中核として推進。

 

原大祐(ファシリテーター)
1990年、広島県生まれ。九州(宮崎県・福岡県)で育ち、大学は京都大学文学部/体育会男子ラクロス部トレーナー。卒業後、住友商事株式会社に就職。人事部にて新卒採用、社内制度(評価・勤惰)を担当。2020年9月に株式会社Criacao入社。株式会社Criacao キャリア事業部で、体育会学生の部活動支援・キャリア支援、企業の採用支援を担当。

 


前職を選んだ理由と、そこで感じたこと

原 大祐(以下、原)
まずは、前職を選んだ理由、そして、その中で感じたことを聞いていきたいんですが…、では、まずは僕から。僕、就活めちゃくちゃ頑張ったんですよ。「プレエントリー250社」みたいな。

卓間 萌水(以下、卓間
えぐい!


部活を引退してからだったので、プレエントリーした250社、すべてのセミナーにも行きました。でも、やりたいことが見つからなくて。どうしようと悩んだあげく、どこでも飛ばしてくれという気持ちで「何が起きるかわからない」総合商社を選びました。

住友商事では、採用担当と評価・休暇/欠勤/休職の制度設計をしていました。そこで感じたのは、採用だと、年間で何千人という学生と会う中で、僕もそうでしたが、多くが「商社にいくのが正解」と思い込んでいて。採用する側から見ると、異常なくらいにみんなが同じ価値観で「怖っ」と思いました。ある意味、“日本” はすごい組織だけど、「こうするのが正解」と強くインプットされてきたのを肌で感じて、これでいいのか?と考えるようになりました。

評価制度でも「○○歳になったらグレードが上がる」みたいな仕組みを、誰も疑わないこととか「どうなんだ?」と、徐々に課題を感じるようになっていきました。

原田 亮(以下、原田)
僕は、原ちゃんとは逆で「自分で決める」ことに重きをおいたので、配属リスクがある商社や銀行をまず選択肢から消した。むしろ、自分の役割にイメージを持てる “職種別採用” をやっているところを志望した。僕は三男で、甘やかされて育ってきたので、華々しいところでやりたい気持ちもありつつ、泥臭く、縁の下でやれるのかを試したかったので。だから、ソニーの中でも、僕から見ると泥臭そうな、部品の調達を決める部署を希望した。


僕と違って、すごいちゃんと選んでますね(笑)。

原田
自分は言い訳をしやすい人間だから、職種別採用もそうだし、ソニーには自ら手を上げて部署異動をする制度もあったので、いずれにせよ「自分で選んだんでしょ」と自分に言える状態をつくりたかった。

ソニーでは、最初に入った部品の調達をする業務を3年、次に、ソニーが電子お薬手帳サービスを事業化するということで、さっき言った手上げ式の制度を活用して、異動して2年半。合計、5年半いた。

卓間
“お薬手帳” からの “クリアソン新宿” ということですね。

原田
一見、つながっていないよね(笑)。ソニーで印象的だったのは、入社1ヶ月目で、部署の人数が30人から23人になったこと。ソニーが決算で約4000億円の赤字を出した年で。厳しいとは聞いてたけど「そういうときこそ、チャンス」みたいな感じで、まあ “イキってた” んだけど、さすがにビビった(笑)。きちんと選んだ会社ではあったけど、なんやかんや ブランドがあると思ってたし、大企業で安心安全と信じていたし。

さらに、想定と違ったことで言えば、僕が選んだ職種の役割は、マーケット全体を見た上で、QCD(Quality 品質、Cost コスト、Deliveryデリバリー)において、その部品の調達がソニーとって素晴らしい形になるかを考えることだったんだけど、実際は、自分のところに情報がくるころには、すでに技術者が「これ使う」と話をつけてしまっていたりして、言ってしまえば、立場が弱い役割だった。自分の将来をイメージできるロールモデルも少なかった。

そのときに救われたのが、いわゆる「机の下でやる」プロジェクト。ソニーには、面白いと思ったことを業務時間外に進めて、形になってきたら「机の上に出す」、つまり申請をして業務として進める、そんな文化があって。その中の一つに、コートジボワールの子どもたちに、パブリックビューイングでワールドカップを届けるというプロジェクトがあって、同期が参加するのをきっかけに、僕も、「今の部署に還元できることはないけれど、僕の成長のために行かせてください」と3人の上司に頼みこんだ(笑)。そしたら、仕事扱いで2週間行かせてくれて。

ソニーで閉塞感を感じていた時期だったけど、そこには、給料に跳ね返ってくるとか関係なく「大義がある」とか「面白い」に飛びつくソニーの人たちがいて。大義の下で、役割をつくって、人を巻き込みながらやることが、こんなにも幸せなのかということを知ったかな。


なるほど。

卓間
なるほど。

原田
そのあと、患者と医者の情報格差を、ソニーの技術を使った電子お薬手帳という手段で解決する新規事業がスタートしたので、自ら希望してそこへ移った。そこでは、僕は渉外担当として、札幌市や神戸市にこの事業のメリットを説明したり、現場の病院・薬局、薬剤師会とかにプレゼンをしたりして「申し込みが何件入った」とかをやって。そこでも、大義の下で、誰かとタッグを組んで「良かった」とか「ダメだった」とか感情を共有する…、そんな体験ができて、こういうことが自分にとって大事なんだと、確信に変わっていったかな。


(卓間)萌水ちゃんは、どうですか?

卓間
私は鹿児島から上京して、当時は海外志向 ―特に開発経済学に興味があって、アイセック(AIESEC)という組織に所属していました。アイセックは全世界に支部があって、もともとは 第二次世界大戦後の世界平和を目指した、非営利の学生団体なんですが、フィリピンに3週間フィールドワークとか、韓国に1週間国際会議とか、体育会学生とはまったく違う生活をしていました。

ただ、海外にいるときに、ふと「ここの社会課題を解決したかったんだっけ」と考えてしまって…。すごく楽しかったけど、本来的に解決したいのか?と自己分析みたいなことをしたとき、自分のアイデンティティは鹿児島だし地方だし、やっぱり 海外はただの憧れだな…と、20歳くらいで気づきました。開発経済学ではなく、地域やコミュニティに興味があったんだなと。なので、外務省とかを志望する同期が多い中で、私は “制度” をもって、地域にマクロにアプローチできる総務省を就活の本丸にしました。

総務省は、総務省と地方を行ったり来たりするのが 一般的なキャリアパスになっているんですが、1年目から、何もできないけど「とりあえず、現場見てこい!」みたいな感じで、私は岩手に出向しました。当時、東日本大震災から5年で、復興も本格化、嵩上げ工事が行われているくらいのタイミングでした。その中で、市町村・県・国をつなぐ役割をさせてもらって「こうやって日本は動くのか」ということを学びました。何より、復興に想いを持ってやっている人と働くのは楽しかった。

その次は、消防庁に移り、防災に関連する部署に、通算2年くらいいました。有事の際は、危機管理センターに集合して、現場と官邸をつなぐ仕事をしていました。普段は、避難勧告の基準を考えていて、当時、熊本地震が起きた直後だったので、そこから制度を見直し、よりベターな形にするために気象庁や国交省と一緒に考えて…とにかく災害には詳しくなりました。この仕事も、現場が近かったので、手応えがありました。


ルールをつくりながらも、現場を感じられる、ちょうど良いポジションだったわけだ。

卓間萌
ルールをつくる上でも、なぜそのルールが必要か、それが明確だったかな。「災害」「復興」のためにというのは、(原田)亮さんの言葉を借りるのであれば “大義がとりやすい”。ただ、4年目以降は「明治以後に成り立っている、地方自治のあり方を考える」みたいな、ものすごいマクロな仕事に変わって(笑)。

総務省が中心になって「2040年の日本を考える」というテーマで、例えば「東京の高齢者が100万人超えて介護保険制度をどう維持するのか」とか「点検する人員がいなくて施設の老朽化が課題になりそう」とか、データを分析して、制度でどう解決できるかに取り組んでいたのですが「制度で解決できない領域は意外と多いな」と感じるようになりました。

もう少し詳しく言えば、行政・地域・ベンチャー含めた民間が連携していかないと、これは無理だと(笑)。そう思うようになったのが、一つの転機でした。制度の設計も大事だけど、私がやりたいのは「1、2年目のように現場を感じること」そして「制度で解決できないミクロな社会課題に挑戦していくこと」なんじゃないか。この二つが、自分の中で重要な価値観になりました。


いろいろ、培われているね。亮さんも「現場」みたいなものは大事にしていましたか?

原田
僕は少し違うけど、例えば、部品の管理で、エクセルの50万行のデータを使いやすい形にする、みたいな仕事をやるときも「これはこの人ために使われている」ということが見えていたし、見えるようにしていた。これが現場感なのかわからないけど「誰の、何のために」とういのは意識的に明確にしていたし、それが外の顧客ではなく、内の顧客でも意味を感じられたかな。

卓間
とにかく、自分の仕事が、想いを持っている人につながるのがいいなというのは同じかもしれません。例えば、避難勧告の基準の見直しの際も、47都道府県の河川や気象の担当者の方、とても熱い方々と意見交換をして、組み立てていく、そうして、その人たちのやってきたことが、ちゃんと制度に跳ね返っていく、その人のためになっていくというのは、やりがいがありました。


逆に、僕はサイレントマジョリティーに対しての配慮をやってきたかな。

卓間
人事ってそうだよね。


声を上げずに苦しんでいる人がいるかもしれない中で、いろいろな立場の人を想像して、すべての社員に対しての平等を考えることが必要だったので、二人が言うような意味での “やりがい” を感じることには難しさがあったかもしれないと、聞いていて思いました。

新宿のサッカークラブへの転職のきっかけは?


そんな中、世の多くの人たちが知っている「大きな組織」から、クリアソン新宿という「ベンチャー」に転職するわけです。“ 新宿のサッカークラブ ”への転職のきっかけはなんでしたか?

 

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