~Management is Art~ 理屈のない世界へようこそ。

こんにちは、Criacaoの中村です。
今日は広報としてでなく、組織のマネージャーとしてブログを書きます。

中村俊一

幼少期をオーストラリアで過ごし、バスケットボールでオーストラリアの世代別代表に選出経験があり。オーストラリア国立大学を首席で卒業し、リクルートに入社。マイナビ、リアライブで新卒採用に関わり、2019年1月からクリアソンに入社。

今回のテーマは「マネジメント」について

日本のビジネスシーンではよく「マネジメント」という言葉を「管理」と直訳する人が多い。私が新卒で入社した会社でも、「マネジメントとは管理することだ」と研修で教えられた。これは結構日本独自の文化だと思う。「管理職」という言葉があるように、日本のマネジメントは管理してコントロール(思い通りに事を成し遂げる)することと定義されている。

この世界には管理されることを嫌う人もいるし、管理されることで人間が創造力を失うこともある。現に私は上司からKPIを渡されて、この数字を管理するのがお前の仕事だと言われた瞬間に「はい、わかりました」とニコニコしながら数字を徹底的に管理し、同時に転職サイトに登録する。管理主義が嫌いなのだ。

まず大前提として私はKPI否定派ではない。私にとってKPIとは車のスピードメーターのようなもので、便利な道具だと認識している。

ただ与えられた役割が「スピードメーター管理係」になった瞬間にモチベーションが大きく下がる。東京から大阪まで500キロあるから、時速100キロで走れば50時間で到達するよね。だから常に時速100キロを維持しなさい。という理論に強い反発心が生まれてしまう。
(なぜかはわからないが、とにかく嫌なのである)

私は同じ目標でもこんな風に頼まれるほうがやる気がでる。
東京から大阪まで500キロある。色んなルートがあるからナビが示さないルートの中に答えがあるかもしれない。燃費を考えた走りも結果に大きな影響を与えるだろう。私たちが想像もつかない、色んな変数が結果に影響を与え、味方となる時もあれば、大きな壁となる事もある。君のミッションはそんな環境の中で50時間以内に東京から大阪まで到達することだ。試行錯誤してなんとかしてくれ。

こういう頼まれ方をすると、何が何でもやってやろう。と思うのだ。

私はマネジメントが「数字の管理係」という仕事なら、そこに面白さや魅力を感じないし、AIの仕事だ!とひねくれた発言をしてしまう。
私はマネジメントが面白いからやってるし、魅力を感じているからこの仕事を受けているのだ。だからこそ「マネジメント」の定義が自分にあった組織で働きたいと思っている。

Management = 管理 という考え方もあるが、私は人様を管理するほど人格的にも、能力的にも優れた人間じゃない。人なんか管理できないし、思い通りにならないと考えている。その上で、どうやってゴールにたどり着くかを考えていろいろ試してみる事が好きなのだ。

嫌いだから管理しない!!
という発想はあまりにも幼稚なので、少しだけ理論的な部分も説明させてください。まずは海外のManagementの定義をいくつかご紹介します。

Van Fleet and Peterson
‘as a set of activities directed at the efficient and effective utilization of resources in the pursuit of one or more goals.’
(1つまたは複数のゴールを追求して、リソースを効率的かつ効果的に利用することを目的とした一連の活動)

Megginson, Mosley and Pietri 
‘working with human, financial and physical resources to achieve organizational objectives by performing the planning, organizing, leading and controlling functions‘.
(計画・整理・リーダーシップ・管理を通じて、組織が目的とする対価を人々の労働によって得る)


F.W. Taylor

‘Management is an art of knowing what to do, when to do and see that it is done in the best and cheapest way‘.
(何をするべきか、いつ行うべきかを知り、それが最善かつ最も安価な方法で行われる芸術)

Harold Koontz
‘Management is an art of getting things done through and with the people in formally organized groups. It is an art of creating an environment in which people can perform and individuals and can co-operate towards attainment of group goals.‘
(正式に組織されたグループの中で、人々と一緒に、そして人々と共に物事を成し遂げること。それは、人々が行い、個人が成し遂げ、グループの目標達成に向けて協力できる環境を作り出すこと。これらは全て芸術である。)

マネジメントを管理として定義する文面はなく、「アート(芸術)」として定義するようなケースが多い。マネジメントを芸術とするのは、マネジメントが理屈を超えた何かであることを意味しているのだと考えられる。

Ivor kennyの著書 ”Can You Manage” という問いを、日本語で返答したらこうなるだろう。

Ivor kenny
「Can you manage?(あなたはマネジメントできますか?)

日本の経営者・マネージャー
「はい、私は管理ができます (Yes I can Control)」

Ivor kenny
「…..」

Ivor kenny
「You are control freak (あなたは支配欲が強いのね)」

翻訳には限界がある。

同じマネジメントの本でも海外版と、日本語訳には受け取り手に大きな差があると私は感じている。ドラッカーのマネジメント理論が典型的な例だが、日本語訳のドラッカーは意味不明な文章が羅列されているだけだ。おそらく翻訳者の能力では、ドラッカーの世界観まで理解して訳することができなかったのではないかと感じる。

ビジネスの世界でも、「英語だけが話せる人」と「ビジネスを理解したうえで英語が話せる人」では訳し方に大きな違いがでる。

マネジメントとは何か?

まあ、理屈っぽいことはこれぐらいにして結局マネジメントってなんなの?という話になるのだが、マネジメントとは「なんとかすること」という定義が色んな著書を読んだ上でしっくりきていることだ。

マネジメント(なんとかする上)で問われているのは、

あなたは十分な知識をもった人間なのか?
あなたは十分な経験をもった人間なのか?
あなたは経験と知識の不足をどのように補うのか?
あなたは道具を使える人間なのか?
あなたは目的を正しく捉えているか?
あなたは問題をいろんな角度で検証したか?
あなたは行動しているか?
あなたは一緒に働く人間を理解しようとしているか?
あなたはリスクを考えたか?
あなたは….

etc

まあ、色んな事が問われているわけです。
そして色んなことを全部やるなんて無理なのです。根性論で無理なんて言葉を使うな!!みたいな意見もあるでしょうが、無理なものは無理です。

マネジメントには「何とするうえで、完ぺきにはできない」ということを決断する必要があると私は考えています。

だから自分なりの哲学をつくります。
そして色んな成功体験と、失敗体験を繰り返して自分の哲学をアップデートしていく。自分と相性の良い言葉が見つかるまで改善を続ける。

私にとってマネジメントとは、
「優秀な人間を採用し、彼らにとって挑戦的な機会を提供する。彼らが勝った時には称賛し、さらなる機会を提供する。負けた時は壁打ち相手になり問題を一緒に整理する」

こんな感じで「なんとかする」ための答えが自分の中にあるのです。
そして自分なりの答えを見つけた瞬間に、たくさんの否定をもらいます。なぜなら私は「やること(できること)、やらないこと(できないこと)」を決断できたから。

まわりはマネージャーに対して理想を求めるので、理想と異なる部分に対して「もっとこういう考えもある」「これができていないのはマネージャーとしてどうなのか?」と意見をくれます。

あなたにキャパシティーがあるなら、相手の意見を取り入れてみる事も素晴らしい実験になるでしょう。だけどキャパシティーが限界なのに相手の意見を取り入れることは、現状の70点を30点にすることなる。なんとかする(マネジメント)ことが困難になる。

まずは自分のつくった哲学で、どこまで突き進めるのか走ってみる。ただし頑固にはならず、限界までたどり着いた時に哲学をアップデートする勇気が必要になってくるのではないでしょうか。

マネジメントは完ぺきじゃない。
完ぺきじゃないから「ART」なのだと思う。

なんとかすることは理屈じゃない。

クリアソンは、
僕がKPIを辞めれば、他の誰かがKPIで管理する。
僕がビジョンを語らなくなれば、他の誰かがビジョンを語る。
僕が間違いを指摘しなければ、他の誰かが間違いを指摘する。

あした組織がどうなるか僕には予測ができない。
人が自分の想像を超えてくる。

完璧な日常よりも、想像を超えた1日に充実がある。