「人と人をつなぐ」スポーツ 竹田が考えるフットサルの可能性/竹田取締役

 株式会社Criacaoの取締役を務め、Criacao Shinjukuフットサルチームの代表でもある竹田。もともと株式会社efcuoreにてフットサルの事業展開し、常にフットサルを生活の一部にしてきた。竹田は「どういう想いで仕事とフットサルに取り組んでいるのか」。また、「なぜ、そこまでフットサルにこだわるのか」を聞きました。

 取締役CSO(最高戦略責任者) 竹田好洋(たけだ・よしひろ)

198112月:東京生まれ横浜育ち

1997~2000年:神奈川県立柏陽高校 サッカー部に所属

2000~10年:東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本) 駅員、車掌、運転士、駅ナカ開発、管理部門に従事

2001~02年:上智大学文学部新聞学科 仕事の休みを利用し、世界情勢、メディアについて学ぶ

2006~10年:中央大学商学部経営学科 会社内大学派遣制度にてベンチャー論、経営学を学ぶ

2010~14年:株式会社efcuoreを創業 フットサルメディア「スマイルフットサル」を立ち上げ、コミュニティ事業を展開

2014~:株式会社Criacao取締役CSOに就任

2000~05:高校同級生とチームを立ち上げ社会人フットサルリーグに参戦。神奈川県1部まで昇格

2005~09:関東フットサルリーグ1部コロナフットボールクラブ権田にてプレー

2014~Criacao Shinjukuフットサルチーム代表

 

最も力を発揮できる場所で

 『CSO』の『S』は『strategy』(戦略)の頭文字だが、仕事内容は「厳密には戦略を立てるというわけではない」という。「メンバーが理念に向かって進めるようにするために、前を走ったり、伴走したり、ときには後ろから支えること」だそうだ。この考えはフットサルでも同じ。以前には関東リーグも経験したプレイヤーだったが、今はチームの代表を務める。「(選手に)戻りたいと思うこともある。ただ、今の自分が一番力を発揮できるところはプレイヤーではなく、この立場」。株式会社Criacaoでは、大学の体育会の部活やプロアスリートにリーダーシップやチームビルディングを教えるセミナーの講師を務めるため、仕事で得た知識を、フットサルという実践の場で生かせることが代表の面白みだ。会社においても、チームにおいても、自らがしたいことよりも、最も貢献できることをしようと思っている。

 仕事では、学生と面談を行うこともある。その際は「『何かを教えよう』ではなく、学生が本当に大事にしている想いは何か。それを見つけること」を大切にしている。自身の経験から、想いが人を動かすと信じているからだ。

 

20歳の時の感動体験

 高校卒業後、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)に就職。仕事の合間を縫って、高校時代の仲間とフットサルチームを創設した。印象に残っていることがある。それは20歳の時のことだった。

 チームは神奈川県3部リーグに所属していた。周りのチームには、高校時代にサッカーの東京都選抜を経験した選手や、強豪校で活躍した選手が在籍していた。対して、自分たちのチームの選手が高校時代に所属していた部活は、卓球部、野球部、テニス部や弱小サッカー部……力の差は歴然だった。

 それでも「チームメイトは夜10時に自分を会社に迎えに来てくれて、翌日の午前2時まで練習して、帰りは家まで送ってくれた。そういう仲間のために頑張りたい」。試合にはプレーの出来不出来に関わらず、全員を出場させた。「フットサルのスキルは相手に劣っていた。でも、仲間を信じるという面では勝っていた」。結果的に「絶対に無理」と言われていた、神奈川県2部リーグに昇格することができた。その時に「この素晴らしい感動を自分だけでなく、多くの人にも感じてほしい」と思った。

 JR東日本に就職したのは、事業会社が沢山あるため、様々なことにチャレンジできると思ったから。その一つとして、電車運転士になりたかった。24歳の時、免許を取得し目標が叶ったが、その時にはスポーツビジネスの道に進むことを決心していた。同時期に電車運転士免許を取得した500人が抱負を述べる場でこう言った。「やりたいことがあるので、3月に辞めます」。ただ、同時期に社内大学派遣制度に合格しため退社せずに、中央大学商学部経営学科に進学。ベンチャー論や経営学を学んだ。

 卒業後の2010年に株式会社efcuoreを起業し、神奈川県のフットサル情報をまとめたフリーペーパー『SMiLE Futsal』を発刊。その後、ウェブサイトに移行し、運営を行いながら年間50試合ほどの試合を取材し、記事を発信していった。2014年に株式会社efcuoreを株式会社Criacaoと統合し、株式会社Criacaoの取締役CSOを務めるようになった。

 

なぜ、フットサルか

 フットサルは「(自身にとって)あくまで『手段』」。では、何のための手段なのか。「ひとつは、世の中に感動を届けると同時に、誰もが感動を届けられる体現者になること。もうひとつは、世界を平和にすること」。

 人生に大きく影響を与えた出来事が、二つある。

 2001年、ハイジャックされた飛行機が衝突し、ビルが崩れ落ちていく映像をテレビで見ていた。「映画かと思ったけど、液晶の隅に『LIVE』と書いてあった。なぜ、こんなことが起こるのか」と『9.11テロ』の惨状に頭を抱えた。

 2011311日の東日本大震災にも大きな影響を受けた。スタジアムでフットサルを観戦している時に、「天井が落ちるんじゃないか」と思うほど揺れた。会場の各地から悲鳴が聞こえ、大勢の観客が出口に走っていく様子の異様さに恐怖を覚えた。一方で、何時間も歩いて帰る中で、自然と見ず知らずの人と親しく話していた。「『異常事態だから』ということもあるけれど、そのときに自分はどんな人とでも、しっかりと話し合って理解し合うことができるのではないか」と感じた。

 フットサルはサッカーと比べてハードルも低く、性別問わずプレーできる。「『見る』機会より、『する』機会の方が多いように、『人と人をつなぐ』スポーツ」。人と人がつながることで、どういう豊かさが生まれるか。それを体現するチームをつくることで、世の中に発信していきたい。人と人をつなぎ、輪を広げていけば、それが平和につながるとも信じている。

 現在のフットサル界にはある特徴があるという。「人生を一度、挫折した人が多い」。なぜなら、ほとんどの人は一度、サッカー界にいたことがあり、夢半ばであきらめているから。ただ、そこに魅力がある。「『一度、人生をあきらめた人たちが、もう一度、自分の人生に本気で向き合う。あきらめずに努力したら、もっと人生を幸せにできる』。それを体現している人が、フットサル界に多いと思う。いつでもやりたいと思ったとき、もしくは、もう一回人生を豊かにしたいと思ったときに、チャレンジすればいい。何にしても遅いということはない。そういう世の中にしたい。そのために、自分たちで体現して、世の中に伝えていきたい」

 

家族にも還元されるようなチームをつくりたい

 平日は株式会社Criacaoでの業務を行い、土日はフットサルチームの活動。土日は朝6時半に起床し、私服のまま寝かせていた子どもを連れて、電車で1時間半かけて移動する。ただ、練習中は相手をすることができない。時間を持て余している子どもを見て「申し訳ないと思っている。だからこそ、そのときにしかできない経験をさせてあげたい」と練習後は必ずご飯に行くようにしている。「大人とこんな小さい頃から会話したり、相手にしてもらったりする機会はない。そういう機会で子どもの人生が何か良い方向に向いてくれたら」。

 仕事とフットサルと家族の3輪をかみ合わすことは難しいと感じている。

 「あきらめてしまう人も多いけど、あきらめないでいきたい。お父さんも頑張っているから私も頑張りたい。そう家族にも還元されるような、チームをつくりたい。同じように頑張っているメンバーはたくさんいる。その努力が報われるようなチームにしたい」