「前に進みたい」という想いを信じる 大谷真史選手インタビュー

 4月6日~9月22日まで行われた第53回(2019年)関東サッカーリーグ2部において、弊社クラブチーム Criacao Shinjuku が優勝し、来季より関東サッカーリーグ1部に昇格する予定です。

 今回は、今季のリーグ戦で得点王になったものの10月に退団し、現在はJリーグクラブのトライアウトに挑戦している大谷真史選手のインタビューをお送りします。(このインタビューは10月28日に行いました)

 

大谷真史(おおたに・まさし)

1994年山口県岩国市生まれ。高校時代はサンフレッチェ広島ユース、大学時代は駒澤大学体育会サッカー部に所属し、4年次には副将を務めた。大学卒業後はモンテネグロリーグ1部のFK Mladostと契約。その後同リーグ1部のFK Komに移籍した。2018年5月に兄のドナーとして生体肝移植手術に臨むため、帰国。2019年3月より復帰と同時に Criacao Shinjuku に入団した。関東サッカーリーグ2部では11得点(12試合出場)を挙げ、得点王になった。184cm/78kg

 

言葉にできないもの。それこそに迫力がある

今年の3月に入団し、リーグ戦では得点王になりました。しかし、リーグ終了後の10月に退団し、これからは「Jリーグクラブのトライアウトに挑戦する」と聞きました。このような決断をされたのは、なぜでしょうか?

「前に進むために退団しました。大学卒業後にモンテネグロに行くと決めた時も、みんなに『なんでモンテネグロ行くの?』と聞かれました。その時も『前に進みたい』『そこに行きたい』という想いだけでした。

 ですが、実は最近まで悩んでいたんです。『前に進みたい』という想いはありながらも、退団の理由をうまく言葉にできなかったからです。そんな時にりくさん(井筒陸也・ Criacao Shinjuku )に『神々の山嶺(かみがみのいただき/作・夢枕獏,画・谷口ジロー/集英社文庫)』という漫画を勧められました。これは、誰も成し遂げていないことに次々と挑戦していく天才クライマー・羽生丈二が、最後には不可能と言われる「エヴェレスト南西壁冬季無酸素単独登頂」に挑むというストーリ―です。呼吸を忘れて深夜まで読み耽ってしまうほど面白かったです。

「たったの5巻だから。ぜひ読んでほしい!」と「神々の山嶺」を勧める大谷選手

 とくに印象に残っているのは、羽生の言葉です。イギリスのジョージ・マロリーという有名な登山家は『なぜ、登るか』という問いに対して、『そこに山があるから』と答える。ですが、羽生いわくそれは違うそうで、『そこに俺がいるから』と答えるんです。それを見た時に『なんだ、それは!(笑)』 と。羽生は何かを得るために登るのではなくて、そこに行かないといけないと取り憑かれている。ただ前に進もうとしているだけでした。最近は言葉にすることや『何のために』ということが重要視されている気がします。言葉にできないと『それは違うんじゃない』と言われる。でも、僕はそこにこそ迫力がある気がします。自分のしたいことを言葉で表すことができなくても、『前に進みたい』という想いを信じればいいのだと気付くことができました。

池崎選手に「ゾワゾワした」

 偶然にも同じ時期に、とてもお世話になっているメンタルトレーナーの方が車いすラグビー日本代表のトレーナーをされていたことがきっかけで、10月に行われていた『ワールドチャレンジ2019』を観に行きました。その際に、車いすラグビー日本代表のエース・池崎大輔選手(三菱商事)にお会いする機会があったんです。池崎選手は淡々と話されていましたが、何かゾワゾワとしたものを感じました。会話をしていてあんなにもたくさんの汗が出たのは初めてです。池崎選手は『自分だけの何かを持つために、時に1人になることはしょうがないこと。僕も戦う最中では孤独を感じてきた。その中で2、3人信頼できる人がいれば十分。その辛さに耐えて進んでいくこと。その結果が最終的に誰かのためになれば、それはとても良いことだ』とおっしゃっていました。池崎選手との出会いを通して、他人ではなく自分が納得するくらい強度を高めて前に進みたいと思った。それは孤独で苦しいことかもしれない。でも、前に進まなければ何も得ることはできない。進んだ先に何があるかは正直分からないですが、この『前に進む』という感覚を大事にしていきたいです」

『やったるぞ』と思っていたけど・・・

大谷選手は昨年、お兄さんのドナーとして生体肝移植手術を受けるため、モンテネグロから帰国しました。手術は昨年5月のことです。ブログ(『僕たちはベッドから革命を起こすんだ』)を通して、そのことについては知っていましたが、術後から Criacao Shinjuku に入団するまでの経緯はどういうものだったのでしょうか?

「昨年の11月頃、体調も良くなってきていたので、昨年中にJリーグにチャレンジしようと思っていました。『やったるぞ』と意気込んでいましたね。そしたら、十二指腸潰瘍を発症していることが発覚しました。デッカイのが二つもできていた(笑)。異変はありましたが、お医者さんからも『経過観察中だから少し痛んだりはするかもしれない』と言われていたので、『これが経過か…結構痛いな』と思いながらも耐えてました。その結果、かなり危ない状況に陥っていて、十二指腸が破ける寸前で…。その後は岩国(山口)の実家に戻って2カ月間くらい療養して、今年の1月には収まりました。ですが、Jリーグクラブのキャンプも2月頃には終わってしまいます。『自分はどうなっていくのだろう』と途方に暮れていました。そんな時にたつやさん(岡本達也・ Criacao Shinjuku )から連絡があり、『こっちでコンディションを上げながら、やっていかないか』と Criacao Shinjuku の練習に誘ってもらいました。すごく嬉しくて練習に参加しました。コンディションが良くなっていくと同時に、リーグ戦が間近に迫っていました。みんなと一緒に戦いたいと思い、入団を決めました」

関東サッカーリーグ2部後期第7節アイデンティみらい戦(○3-2)で逆転ゴールを決めた大谷選手(左)

Criacao Shinjuku でのプレーはいかがでしたか?

「これはチームメイトにも言っていたけど、Criacao Shinjukuには、〝チーム〟というよりも〝国〟のような繋がりや愛があると思っています。その愛や繋がりをサッカーを通じて深く感じた一年でした。紫と言えば、僕をサッカーそして人として育ててくださったサンフレッチェ、そしてサッカーを断念しそうになった時に救いあげてくださったCriacao Shinjuku、この二つのチームは僕の人生を語る上で欠かせないものとなりました。シーズンが終わってから、しみじみと振り返りそう思います。自分のアイデンティティがここにあって、別のクラブに行ったとしてもこの2つの存在、紫で得た志は持ち続けたいと思います。そして、必ず恩返しします。

 なりさん(成山一郎監督)の言葉や立ち振る舞いにいろんなシーンで感銘を受け、多くのことを学びました。これは本当に大きいことでした。とくに印象に残っているのは、後期第6節の神奈川県教員SC戦前のミーティングで言っていたことです。『理想の姿やマナー、立ち振る舞い。みんながそういうものを目指していることは素晴らしいことだと思う。でも、勝ち負けにこだわらない〝あるべき姿〟というのはたかが知れている。勝利しながらそういう姿を目指してこそ、意味があるんだ』と。僕も本当に勝利こそがすべてだと思っています。あるべき姿を目指すのは大切なことだけど、勝ちながらそれを目指さなければいけません。そして、それは本当に難しいことです。それこそ強度を上げ、しっかりと準備して臨まないと勝ち取れない。そういう言葉をなりさんはチームや自らに投げかけて戒めている。一人の人間としても、サッカーを突き詰める者としても素晴らしいと思います」

まだ感謝を述べ合うステージではない

大谷選手のお気に入りのクリアソン国民を教えてください。

「クリアソンに関係しているすべての人が好きです。だから、正直それは決められない…。ただ、たつやさんのことは本当に愛しています。僕が困ったら絶対に手を差し伸べてくれて、どんな状況であろうと一生懸命に考えてくれる。今までだって一度も適当だったことはない。僕は何度も助けられました。去年の手術から3カ月が経った時のことでした。まだ回復していなくてフラフラしていました。そんな時、たつやさんが岡山に来ていて『ちょっと会わないか』と声を掛けてくれました。当時は実家のある山口にいましたが、術後初めての外出で岡山まで行って、自分の状況や思っていることをいろいろ話しました。たつやさんは俺の話をしっかりと聞いてくれました。そして、涙を流しながら『お前は一生家族だからな』と言ってくれたんです。『この人にはこれからもお世話になるんだろうな、助けられるんだろうな』。そう思いましたね。とても感謝していますし、たつやさんがいなかったら今の俺はいないです」

大谷選手(左)と岡本選手(右)

Criacao Shinjuku に伝えたいことはありますか?

「感謝しています。Criacao Shinjuku がなければ、今の俺は形作られていなかったと思う。『このチームで点を取りたい』『このチームのために頑張ってよかった』そういう気持ちになれたのは、ここだからこそです。ここで過ごした時間は貴重で、かけがえのないものです。そういったものを与えてくれたこと、このチームの一員としてプレーをさせてもらったこと、言葉にできないほど感謝しています。

 ですが、まだここは感謝を述べ合うようなステージではないと思っています。先は長いです。これから、もっと強くなっていかないといけない。Criacao Shinjukuも僕もまだ弱いです。これからも勝負して、勝っていかないといけない。だから、僕を含めて一人ひとりの外面的・内面的強度を高めて『次、次、次』ってステージを上げていかないとダメです。それは本当に意識していかないと上がっていかない。速くステップアップしていってCriacao Shinjuku という素晴らしい組織を押し上げないといけない。僕は次のステップに向かっています。強度を上げて前に進む。それを僕もみんなもやっていくべきです」