舘野哲也が新シーズンを前に抱負 陸上×指導×企画運営とは

クリアソンと言えばサッカー、というイメージがあるかもしれません。しかし、400mハードルで日本代表経験もある舘野哲也が昨年入社したことを弾みに、陸上に関わる仕事も増えています。舘野は、現役選手でありながら、指導者でもあり、アスリート事業部で「走り方教室」や「Criacao Athlete College(クリアソンアスリートカレッジ)」の企画運営などを行っています。春の陸上シーズン開幕を前に、日々の仕事、3つの顔の相乗効果、今季の抱負などを聞きました。


―どんな仕事をしているか、株式会社Criacao以外のものも含めて教えて下さい

大きく分けて三つあります。クリアソンではアスリート事業部に所属して、アスリートカレッジの企画運営やディレクション、地域創生事業などでの「走り方教室」のコンテンツ作成・設計が大きな仕事としてあります。

社外になりますが、もう一つは、団体を対象に教える仕事です。中央大学の陸上部でプレイングコーチとして、一緒に練習をしながら、教える側に回ったりしています。また、2017年に自分の地元、茨城県古河市で小学生向けに陸上のスクールを立ち上げています。父親が主導で動いていて、自分は月に1回、足を運んで指導しています。昨年、東京都墨田区で、Run For The Futureという社団法人で、陸上スクールを大学の先輩と一緒に始めました。三世代が一緒に走れる団体を目指していて、すでに下は5歳から、上は69歳までいらっしゃいます。

あとは、パーソナルコーチもしていて、高校生と、2年前から義手の陸上選手も見ています。陸上界では、自分の事業と陸上という二本であればいるんですが、自分のように三つを掛け持ちする働き方は珍しいと思います。

 

―前職の実業団では、どんな生活でしたか?

メディアではプロの方が多く取り上げられますが、大学卒業をして陸上を続けている人は9割くらいが実業団で、プロでやっている人は1割にも満たないと思います。

実業団では、午前中出社して、午後から練習という感じでした。営業部署で最初はお客さんのところについて行ったりしていましたが、競技に専念したい旨を相談していき、次第に内勤の仕事をするようになっていきました。合宿が多いときは出社できないですし、シーズン中はコンディションづくりに配慮してもらって、週1,2日は休みをもらって、シーズンが終わったら出勤日が増えるという形でした。

 

―そこから、クリアソンで働くようになったのは?

前の会社はロンドン五輪に出た選手として2014年に入社したのですが、翌年の冬からずっとけがをしてしまって、大会に出場できない時期が続いていました。2016年に主要大会に出場するための標準記録を突破できなければ社業に専念という危機がありました。それはクリアできたのですが、2019年にも同じ危機があって、東京オリンピック代表の選考に引っかかるような記録を出さなかったら、という時にけがをしてしまって、目の前が真っ暗になりました。このままだと自分はここでは陸上が続けられないし、今やっている仕事に情熱を注ぎきれず、自分にしかできないことは他にもあるだろうと、そこで会社を辞めるという決断をしました。

その2回ともタイミング良く、自分が大学陸上部に入部した時のコーチだった伊藤友広さん(「0.01 SPRINT PROJECT」を運営する株式会社FRD代表取締役、現株式会社Criacaoパートナー)から連絡があって、伊藤さんの仕事の話を聞く中で、(社長の)丸山さんを紹介されました。退社を決断した2回目の時に、「それであればクリアソンでインターンをしながら、自分のやりたいことを探してみたり、伊藤さんと活動しながら陸上続ければ」という話をいただきました。

 

入社は想定していなかった

―クリアソンに入社したのは?

2019年9月からのインターンの時は、キャリア事業部で陸上部とのつながりが少なかったので、いろいろな大学に練習に行って、学生とつないだりしていました。あとは、伊藤さんのスクールやイベントを手伝って生活をしていました。

入社を全く想定してなかったんですよね。インターンからパートナーに切り替わった後、「社員として、もっと一緒に働かないか」という話をいただいていたんですが、墨田区の陸上スクールが始まることになっていたので、一旦保留にさせていただきました。その後、コロナでイベントがバタバタとなくなって、スクールも延期になって、このままだと本当にまずい、陸上のスキルだけでは生活ができないし、何かしら自分で力を身に付けないと思っていたところ、もう一度話をいただいて昨年6月に入社しました。

―クリアソンの仕事の最初の印象は?

クリアソンの仕事というよりも、それまで、業務をスタートからゴールまでやり切ったことがなかったんですよね。前職の時も、一緒にどこかに行くだけとか、請求書を作成するだけとかでした。アポから始まって、商談、契約、実施という一連の流れを初めてやってみて、「これが仕事か」と思いました。同時に、「これは一人ではできないな」とも思いました。なんでも完璧に一人でやりたがるのが陸上選手だと思うので。

―陸上が仕事に、仕事が陸上に活きたことは?

「走り方教室」やスクールで一番役に立っていますが、現役選手ならではのレベルの高いパフォーマンスを目の前で見せられるということ。より大きな感動を皆さんに与えられているんじゃないかな、と思います。逆に、仕事で人を巻き込んでいく中で、より目的意識を持ったり、本質を見抜く大切さを感じられたので、陸上の練習や試合も、自分と向き合うことがいろいろな角度から見られるようになったなと思います。仕事で言うと、これはこういう状況だよな、とか視野が広がったのが、陸上に活きたことだと思います。

難しいのは、本当に時間の配分ですね。競技面で言うと、これだけ指導も仕事もしているので、どう競技に活かせるかと常に考えています。例えば、見本を見せるとなると、良い動きをしないといけないので、それを自分の練習につなげるとか。思考の整理をする時間があまりないので、移動中は練習メニューをどう立てようとか、イベントの集客文をどうしようかなとか、思考に使っています。両立する上で小さなミスもあったり気持ちの浮き沈みが激しかったりするので、この波をどうにかフラットにしたいのが今の課題です。

結果を出して、いろいろな人とつながりたい

―クリアソンの仕事で様々なスポーツの人と出会う中で陸上を見直しましたか?

競技によっていろいろな特性があって、教育的にも学べる部分がありますよね。陸上は自分にベクトルを向けることに特化する部分が多くて、他の人と関わるのは弱いと思っています。今年からサッカークラブ(Criacao Shinjuku)の走りの指導にも携わっているんですが、練習の時にめちゃくちゃ意見が出るんですよ。意見を言うことで周りの人が見てくれるし、誰かを巻き込むとはこういうことなんだなとわかったので、自分自身も陸上の練習の時に、ガンガン意見を言うようにしています。

自分がうまくいっていた時を振り返ってみると、いろいろな人と出会って、いろいろな人の意見を取り入れて、自分の軸にどれだけ肉付けできるかということをしていました。他のスポーツの人と関わる中で、そういう部分が陸上でも大事だなと再認識しました。ここもクリアソンに関わりたいと思った理由で、関わってすごくよかったなと思っている部分です。

 

―昨シーズンはどうでしたか?

コロナの影響で本当にごちゃごちゃしてしまったというのと、スクールが始まったり、クリアソン社員としての活動が始まったりで、ドタバタした一年間でした。体のコンディションを感じて「今日は絶対にタイムが出るだろうな」と思った日に全く出ず、課題を見つけるレースと思った試合でタイムが出たりして、コンディションとタイムが全く一致しなかったシーズンでした。

 

―今シーズンの目標は?

現実を見ると、東京オリンピックの代表選考会である日本選手権(6月・大阪)に出場するというのが一番です。50秒30という参加標準記録を、5月の試合で突破するのが目標です。

オフシーズンに、初めて業務と両立をしながらやってきたので、ふたを開けてみてどうなんだろうな、というのが楽しみだなと思っています。

 

―今シーズンの想いを聞かせて下さい

自分は陸上競技を、競技力ありきでやらなくなってきたなと思っているんですね。クリアソンに入った理由も、「真の豊かさ」というワードと、「誰もが体現者」という考え方が、自分の中でグサッと刺さったところがありました。両親が離婚した家庭環境で寂しい思いがあったので、誰かと関わることにすごく喜びがあったり、寂しさに対して、どういうアプローチができるかと考えてきました。

いろいろなことがあったり、いろいろなものに触れることが自分にとっての豊かさだと思うので、スポーツの垣根を越えて、人と会話したり、その中で体現できることは何だろうと考えます。陸上の結果を出すのも、人に会うための口実だなと思っているので、より思考や行動が変わってきた中で結果を出して、たくさんの人とつながりたいと思っています。